2022-9-20

『命をつなぐ航路』時を越えて人と人を結ぶ海の道

杉山 寧 (津軽海峡フェリー株式会社営業部所属) 野辺地町出身プロフィール

大間町の夕焼けと大函丸

まずはじめに、私は海が好きである。三方を海に囲まれた青森県に生まれ、海と共に28年間生活をしてきた。そんな私は現在、津軽海峡フェリー株式会社に所属をしており、海に携わる仕事についている。私が生まれるずっと前から本州最北端の大間町と北海道を結んでいる「命をつなぐ航路」について紹介したい。

大間~函館間に定期航路が就航したのは1929年(昭和4年)。戦前に一度は廃止されたが、地元の要望により1964年(昭和39年)、日本初の外洋フェリー「大函丸(たいかんまる)」が就航となる。以来半世紀に渡り、大間町民や下北住民にとってこの航路は、函館への買い物やレジャーをはじめ、通院にも日常的に利用するなど、「生活航路・命をつなぐ航路」として現在も定着している。

初代大函丸(たいかんまる)1964年~

津軽海峡フェリー株式会社に就職し、初年度から大間フェリーターミナルで働くこととなる。青森県上北郡野辺地町生まれの私は、期待と不安の入り混じる中、下北半島生活がスタートした。生活をしていくにつれて分かったことがある。「大間町の朝は早い」ということだ。大函丸は朝7時出航であり、乗船するお客様は朝5時半からターミナルに並んでいる方もいる。「命をつなぐ航路」でもある大間~函館航路は大間町民の利用が多く、朝早い時間帯でも全く意に介さず窓口へ並んでおり、漁師町である大間町の地域性を感じた。7時に大函丸が出航することを知らせる陽気な音楽と汽笛を聞くと、1日がスタートした気持ちになる。全長約91m、1,912トンの大函丸は目の前で見ると豪壮だが、大間港を抜けるころには大函丸の立派なシルエットは朧気となり、改めて津軽海峡の雄大さを感じる瞬間である。

大間港を出港した大函丸とカモメ
朧気な大函丸

大間~函館航路の驚くべきは、1964年から本航路の運航が始まり、58年間変わらずに人々を対岸へ渡していることだ。さらに遡ると、縄文時代の約15,000年~2,400年前から丸木舟により、交易・交流も行われていたと考えられている津軽海峡。大間から函館までのおよそ40㎞は古来も変わらずに魅力溢れる航路であるに違いない。晴天時には、大間崎から対岸の函館を見渡すことが出来る。手を伸ばせば届きそうな距離、古来の人は簡単に行けると思ったに違いない。幾多の挑戦と挫折の歴史が詰まった航路であることを考えると感慨深い気持ちとなる。歴史に思いを馳せながら大函丸に乗船するのも一つの楽しみかもしれない。

津軽海峡横断中

私は現在、函館市で勤務をしており、今度は対岸から大間町を眺めている。相変わらず津軽海峡を隔てているが、手を伸ばせば届きそうな距離である。古来の人が決死の思いで渡った津軽海峡を文明の利器であるフェリーで渡りながら思う、移動手段は変わっても北海道と本州の間の景色は変わっていないのだろうと。大間町を離れて数年経つが、大間町の潮の香や四季折々、時間によって姿を変える大間港の情景は決して私の中から消えることはない。少し疲れたなと感じたとき、気付いたら大函丸で大間町へ向かっている。不思議なもので故郷へ帰還するような気持ちである。

私は、海が、いや津軽海峡が好きである。

大間埼灯台と星空

\ この記事の著者 /

杉山 寧(すぎやま・やすし)

津軽海峡フェリー株式会社営業部所属

青森県野辺地町出身

青森県野辺地町出身
津軽海峡フェリー株式会社営業部所属
2017年~ 大間フェリーターミナル勤務
2022年~ 函館市本社勤務
当社発行の観光情報誌 フリーペーパー「Tug」担当者。津軽海峡フェリー広報担当として、津軽海峡エリア(青森県全域、道南地域)の魅力を発信している。

■津軽海峡フェリー
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