2021-7-01

極寒の季節に採取する希少な海産物

佐藤 史隆 季刊あおもりのき発行人プロフィール

大間町の弁天島。ここが本州最北端にあたる

<今回の深掘りキーワード>
「弁天島の天然岩海苔」

私たちの食生活になじみ深い「海苔」ですが、名脇役とは言えど、主役とは言いづらいかもしれません。でも、「天然岩海苔」となると、違うオーラを発しているようです。

第1回下北自慢エッセイで、島康子さんは、大間の天然岩海苔は「主役をはれる」と言い切ります。ならば初回の深堀りキーワードは「天然岩海苔」。中でも、別格とも称される大間町の弁天島の天然岩海苔に迫ります!

■まずは海苔の基礎情報から

食用となる藻類を総称して「海苔(ノリ)」といいます。私たちが普段食べているものは養殖が多く、生食できるものを「生海苔」、薄く四角く乾燥させたものを「板海苔」、板海苔を火であぶったものを「焼き海苔」などと呼んでいます。

これに対して、岩場に自生している天然ものの海苔そのもの、またはそれを加工したものを「岩海苔」といいます。全国的に知られているものとして、島根県出雲市の十六島海苔(うっぷるいのり)、同じく島根県大田市の殿島海苔、兵庫県豊岡市の城崎海苔、北陸地方の雪海苔などが挙げられます。十六島海苔は、古墳時代からの長い歴史を持つといわれています。

青森県では、下北半島や西海岸など。下北では佐井村、大間町、風間浦村、東通村が産地です。下北の中でも「弁天島の天然岩海苔」は秀でた味覚と希少性から「幻の岩海苔」とも言われています。弁天島は大間町で唯一の採取場所です。

■極寒の冬に採取する弁天島の天然岩海苔

島康子さんのエッセイにも登場する新田さつ子さん(通称さつさん)から弁天島の天然岩海苔のことをお聞きしました。さつさんは大間町で、地元の海産物を提供する店(「さつ丸」)を長年続けてきました。

岩海苔の採取時期は、12月末から1月にかけての極寒の冬です。採取日数は数日しかありません。それは、この時期は時化(しけ)の日も多く、採り頃と干潮時と好天が重なるタイミングが限られてしまうからです。

採取は、主に“かっちゃ(お母さん)”たちの仕事です。旦那さんが漁師の方が多く、岩海苔を採取できる好天の日はたいてい沖へ漁に出ているからです。

採取方法は、湿った岩肌に張りついた海苔の中に片手の指を差し込みます。そして指で海苔を起こすようにしつつ、絡めてひっぱる、といった感じ。イメージとして、頭皮を指でマッサージするのと似ているそうです。

手袋は木綿の薄手の手袋。すべる素材や厚手の手袋では海苔をつかみにくいからです。染み込む海水が容赦なく手を冷やします。

ちなみに、岩肌が乾いた場所の場合は、海苔も乾いていてぬめりがないため、カギ状の道具でひっかけて収穫するそうです。

採取した岩海苔は、その日のうちに加工します。それが肝心。翌日では、せっかくの風味が失われてしまうからです。きれいに洗って、細かく刻む。そして、紙漉きのように四角い型(A3くらいなど人それぞれ)で仕上げます。1枚1枚の手作業のため、1日にできるの枚数は、20枚くらいだといいます。

大間町での岩海苔の採取加工者は減っており、現在2軒だけ。昨冬のように1日しか採取できないような不作の年もあります。いかに希少かがわかります。

津軽海峡は海流の通り道。対岸に函館市が見える

■旨さのヒミツは海流にあり

島さんがエッセイでお勧めしてくれた「うにぎり」。試してみました!

この原稿を執筆している6月、入手したのは佐井の岩海苔です。本当はストーブであぶるのが良いそうですが、やむなし、ガスコンロで軽くあぶります。岩海苔にあったかごはんをのせて、大間の塩ウニをたっぷりのせて・・・。なんという一体感。主張の強い塩ウニを、岩海苔は味わいにおいても包み込んでいて、いい役目を果たしています。食べた瞬間、口の中に磯の香りが華やぎます。やはり下北の岩海苔には噛み応えと共に滋味があります。

なぜ、下北の岩海苔は旨いのか。その理由のひとつに、海流の影響が考えられます。

津軽海峡では、対馬暖流から別れた津軽暖流が日本海側から流れ込み、反対側からくる親潮(千島海流)とぶつかります。海流は栄養素を次から次へと運んできます。

さらには、潮流の速さがあることから、おいしい海産物を育ててくれる厳しい環境が生まれます。中でも大間崎からさらに北にある弁天島は、四方八方もろに潮流を受ける場所にあります。

大間崎では、その潮流は見た目にもわかるほどです。(参考動画10:50頃~)弁天島の岩海苔が、他地域よりも厚みがあるのは、潮流の違いなど厳しい自然環境によるものかもしれません。

※参考動画10:50頃~ 青森県下北半島 秋編 

■最後に

江戸時代の紀行家、菅江真澄は秋冬の下北半島を歩いています。もしかして、岩海苔を食していないだろうかと思いを馳せつつ、ぜひ、次の冬には大間に行ってみたい。そして下北各地を巡りたい。岩海苔には、おそらく地域ごとの特性があるはず。食べ比べながら、下北を感じる旅したい。そう心に決めた筆者でした。

\ この記事の著者 /

佐藤 史隆

季刊あおもりのき発行人

1972年青森市生まれ。青森高校、東海大学文学部卒業。帰郷後、地域誌「あおもり草子」編集部へ。2019年冬「ものの芽舎」創業。2020年12月あおもり草子後継誌として「季刊あおもりのき」を創刊。NPO法人三内丸山縄文発信の会(遠藤勝裕理事長)の事務局としても活動。2022年4月には、青森県の馬に関する歴史・民俗・産業などのあらゆる事象を研究するあおもり馬事文化研究会(笹谷玄会長)を立ち上げた。ちなみに佐藤家のお墓はむつ市川内にあり、毎年家族で墓参りをしている。

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島 康子 (まちおこしゲリラ会社Yプロジェクト代表) 大間町在住

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