2022-3-30

掘るほどに興味深い、むつ市川内3つの“1番”

佐藤 史隆 季刊あおもりのき発行人プロフィール

青森県初の本格的なワイナリー、サンマモルワイナリーのブドウ畑

<今回の深掘りキーワード>
「川内のぜひ知っておきたい“1番”」

むつ市川内といえば、今回の自慢エッセイで紹介されている川内川渓谷や、名湯・湯野川温泉、野平高原、川内を覆うように広がるヒバ林など数々の自然の魅力で知られています。
そんな川内を深堀りしてみると、これはすごいぞ!ということが歴史や産業の分野においても出てきます。今回はその中でも、「川内の“1番“」をキーワードに3点をピックアップして紹介します。

■日本初の種痘(しゅとう)を行った中川五郎治

中川五郎治肖像
写真/函館市中央図書館

1つ目の“1番”は、江戸時代の川内に生まれた中川五郎治(1768-1848)。
令和3年(2021)以降、むつ市では新型コロナのワクチン接種計画「プロジェクトG」を進めており、この「G」は、五郎治のイニシャルをとったものです。それは、五郎治が、伝染病「天然痘」のワクチン接種を“日本で最初”に行った人物だったからです。

現在、世界中が新型コロナウイルスに悩まされていますが、かつては天然痘が猛威をふるい、多くの人命が奪われました。紀元前からあったとされる天然痘ですが、感染予防のために寛政8年(1796)にイギリスのジェンナーが考案したのが「種痘」です。これは、天然痘ほど危険ではない牛痘(牛がかかる天然痘)に感染した患者の膿を使い、健康な人に注射をし、抗体を作る方法です。日本医師会のホームページにおいても「ワクチンの歴史は、エドワード・ジェンナーが天然痘に対する牛痘1種痘法を発見したことに始まります。」とわかりやすく紹介しています。
(https://www.med.or.jp/doctor-ase/vol40/40page_id03main2.html)

長崎に日本初の種痘所が設置されたのは嘉永2年(1849)。以後、日本全国に広まったことは知られていますが、実は、日本最初の種痘を実施したのは五郎治でした。長崎の種痘所設置からさかのぼること四半世紀、文政7年(1824)のことです。

20代半ばより松前の豪商の紹介で択捉島の漁場で働いていた五郎治は、文化4年(1807)にロシアの襲撃に遭い、シベリアに連行されて、極寒の地で約5年間の抑留生活を送りました。文化9年(1812)にやっと日本への帰還が許され、イルクーツクから松前藩に戻る途中、五郎治は宿泊先で、種痘についての医学書と運命的な出会いを果たします。その本を譲り受けて帰国後に翻訳し、松前藩に所属しながら種痘についての研究を行っていたことが、上に述べた初めての接種につながり、多くの命を救いました。それが広く知られることがなかったのは、五郎治が伝えた種痘が北海道や北東北あたりまでにとどまっていたからだといわれてます。

むつ市川内庁舎にある中川五郎治の足跡を伝える展示

なお、五郎治についてもっと詳しく知りたい方には、吉村昭の小説『北天の星』がおすすめです。不屈の精神を持った五郎治の数奇な人生が、史実に基づいて描かれています。
また、むつ市川内庁舎内には、五郎治を紹介するコーナーが設けられています。庁舎のすぐそばには、五郎治の功績を称える記念碑も建てられています。

■大正時代、日本一の生産額を誇る銅鉱山だった安部城鉱山

現存する安部城鉱山の煙突 写真/下北地域県民局

2つ目の“1番”は、川内の産業遺産、安部城鉱山(あべしろこうざん)です。
安部城鉱山は、大正から昭和にかけて操業した、銅を中心に金や銀をも採掘した鉱山です。大同年間(806~810)からあったと伝えられ、その存在が貞亨元年(1684)の南部藩の史料にも記されています。
明治時代に入り、日清戦争、日露戦争の影響から金属需要が急速に高まり、全国的に鉱山ブームが巻き起こります。そんな中、この地に目をつけた東京の企業でした。安部城鉱山は優秀な黒鉱鉱床でした。黒鉱とは銅、鉛、亜鉛を主体に金、銀も豊富に含んでいる優れた銅鉱石といわれています。

安部城鉱山の煙道の一部 写真/下北地域県民局

明治45年(1912)には精錬所ができ、製品は主にロンドンに輸出されました。生産量は年々増え続け、大正5年(1916)、6年(1917)にピークを迎えます。大正6年の生産量は、金145㎏、銀1万601㎏、銅の3143トン。中でも銅の生産額は、秋田県の小坂鉱山を抜いて“日本一”となりました。これにより安部城鉱山は、小坂鉱山、栃木の足尾鉱山と共に日本三大銅山と称されたのでした。

当時の川内は、鉱山の盛況とともに、川内川の河口を出入りする船が多数往来し、青森港に次ぐ賑わいだったと言われています。下北の中心地田名部町をもしのぐ人口を有しており、大正6年の人口は約1万2000人を数え、青森市、弘前市、八戸市に次ぐ県下4番目の人口となりました。この年に川内村から川内町へと町制を施行することになりました。

しかし、川内に繁栄をもたらしたこの鉱山は、公害をももたらしました。それは操業時から指摘されていたことであり、鉱山から吐き出される煙に大量の亜硫酸ガスが含有されており、周囲の山林を枯らしただけではなく、川内の漁業や農業などにも甚大な被害を及ぼしました。これは深刻な問題として、当時の県議会やメディアでも取り上げられました。
安部城鉱山は、ピークを迎えた大正6年の銅相場の下落により、その後生産は急速に下降線をたどります。大正12年(1923)に精錬を停止、大正14年(1925)に閉山となりました。(昭和に入り、太平洋戦争時に一時期再開)
負の面もある遺産ではありますが、だからこそ、未来への記憶にとどめておく必要があるように思います。現在も煙突など建物跡が残存していますが、崩落の危険があるため、見学の際は近づきすぎないようにしてください。

■本州最北端、青森県初の本格的なワイナリー

サンマモルワイナリーの醸造所

3つ目の“1番”は、おいしいワイン。
ご存じの方も多いであろう下北ワイン「サンマモルワイナリー」。平成10年(1998)に旧・川内町と第三セクターの川内リゾート開発(株)が、農地を有効利用し地域活性化につなげようと、ワイン用ブドウの試験栽培を開始しました。当初は山梨のメーカーに醸造を依頼していましたが、平成19年(2007)には念願のワイナリーを建設。“青森県初の”本格的なワイナリーの誕生となりました。
ワインの出来の9割はブドウで決まるといわれるだけに、栽培は大変重要です。
筆者が以前、ブドウ畑の取材に伺った時に農場長さんが、広々とした空の下、太陽の光と風を浴びながら育ったブドウを眺めながら、「ここの気候はフランスのブルゴーニュ地方と似ていて、ワインベルト地帯の中にあるんですよ」とおっしゃっていたのが印象的でした。
釡臥山を望む11.3ヘクタールの畑にはおよそ3万8000本のブドウが植栽されています。赤ワイン用の「ピノ・ノワール」「メルロー」、それに白ワイン用の「ライヒェンシュタイナー」「シュロンブルガー」。この4品種に加えて、さらに山ブドウとピノ・ノワールを交配した品種「北の夢」の栽培も行っています。
暖かい地方ではブドウは完熟するに従って酸味が少なくなりますが、川内の冷涼な気候は、酸が立ちキリッと一本の線が通ったワインに仕上がるのだそうです。

下北ワイン

醸造を開始してまだ15年ほどの若いワイナリーながら、これまで国内外のワインコンクールで数々の賞を受賞しています。近年では令和3年(2021)3月、日本の女性が審査する国際ワイン品評会「サクラアワード」において、32カ国のワイン4562点のうち上位6%だけに与えられたダブルゴールド賞を受賞するなど評価が高まっています。
筆者は、下北ワインを下北の海の食材とともにいただいています。ホタテやナマコ、ヒラメ、海峡サーモンに大間マグロ! とっても贅沢な時間です。
サンマモルワイナリーは、国道338号沿いにあり、気軽に立ち寄ることができます。ワインを購入できますし、ブドウの風味豊かなソフトクリームもおすすめです。筆者も家族で立ち寄った際には、いつもブドウソフトを食べています!

■最後に

今回の下北自慢エッセイでは川内の「自然」を、この深掘り記事では“1番”を誇れる川内の「歴史」と「産業」を紹介しました。しかし、実際に旅をするなら「おいしいもの」は欠かせません。最後に皆さんに、川内の「食」を少しだけ紹介します。

川内のけいらん

まずは、郷土料理の「けいらん」。青森県南や秋田県北でも見られる料理ですが、地域によって具や盛りつけに違いがあります。川内では、こし餡を入れた餅を鶏の卵形に丸めて蒸して、コンブやシイタケで出汁をとったすまし汁をかけて味わいます。道の駅かわうち湖でも食べることができますので、川内川渓谷に行った際には、ぜひご賞味ください。(※道の駅かわうち湖は、冬期は休業しています。)

あんべのむつ湾スパゲッティー。サラダ付で550円はうれしい価格

また、川内の中心地区では、メニューが豊富な「和風レストランあんべ」もおすすめです。中でも人気メニューは「むつ湾スパゲッティー」。ホタテ、イカ、エビなど海の幸たっぷりです。

<参考文献>
『川内町史 原始・古代 中世 近世編』(2005年)
『あおもり草子154号 北天の幸、川内』(2004年)
日本医師会ホームページ内「予防接種を知る 予防接種にまつわる歴史(1)」
公益財団法人函館市文化・スポーツ振興財団ホームページ内「函館ゆかりの人物伝」

\ この記事の著者 /

佐藤 史隆

季刊あおもりのき発行人

1972年青森市生まれ。青森高校、東海大学文学部卒業。帰郷後、地域誌「あおもり草子」編集部へ。2019年冬「ものの芽舎」創業。2020年12月あおもり草子後継誌として「季刊あおもりのき」を創刊。NPO法人三内丸山縄文発信の会(遠藤勝裕理事長)の事務局としても活動。2022年4月には、青森県の馬に関する歴史・民俗・産業などのあらゆる事象を研究するあおもり馬事文化研究会(笹谷玄会長)を立ち上げた。ちなみに佐藤家のお墓はむつ市川内にあり、毎年家族で墓参りをしている。

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