2022-9-30

海がつなぐ文化の輪~大間町と天妃様~

佐藤 史隆 季刊あおもりのき発行人プロフィール

大間町内を練り歩く天妃様行列 写真提供/大間町観光協会

<今回の深掘りキーワード>
「海から入ってきた文化」

今回の下北自慢エッセイ♯15では、下北半島・大間町と北海道・函館市を結ぶフェリーの歴史を紹介しています。津軽海峡においての下北地域と北海道の交流の歴史は古く、縄文時代にはすでに交易が行われていたといいます。
長い歴史の中、様々な文化が海を通して下北半島に入ってきました。中世には十三湊を拠点とした安藤(安東)氏による日本海貿易があり、また、近世~明治にかけては北前船などによる交流が行われていました。今回は、海がつなぐ文化の輪を、近世以降を中心に見つめてみます。

■北前船など海運によってもたらされたヒト・モノ・コト

大間町の本州最北端の地からのぞむ津軽海峡

近世以降、全国の流通経済圏に組み込まれた下北半島では、盛岡藩によって湊(田名部五湊、やがて七湊へ)の整備が進められました。これらの湊からは、木材や海産物が全国に向けて積出され、逆に下北には米穀類などが入ってきました。
当時、これらの湊は日本海沿岸航路の西廻り(北前船)、太平洋沿岸航路の東廻り、北海道航路の蝦夷地廻りの3つの海運の寄港地でしたが、近江商人の蝦夷地(北海道)進出に伴って西廻り海運が次第に発達し、近江や北陸の商人が下北地域に定着するようになりました。現在の下北地域にみられる佐賀・越膳などの苗字は、こうした商人たちに由来するといわれています。
また、砂糖と和菓子の伝統的な製法によるべこもち、餡入りの卵形のお餅をシイタケとコンブ出汁のすまし汁に入れたけいらんなどの食文化も、北前船がもたらしたとされています。

祭礼にも上方の影響が見られます。
むつ市田名部の田名部祭り、大畑の大畑八幡宮大祭、川内の川内八幡宮例大祭、脇野沢の脇野沢八幡宮例大祭、佐井村の箭根森八幡宮例大祭などの山車祭りは、いずれも京都祇園の流れを汲むもので、海運により北陸を経由して下北にもたらされました。
また、♯12「福浦の歌舞伎の里を訪ねて」で紹介した、佐井村の福浦の歌舞伎といった漁村歌舞伎も北前船によって伝えられたものです。

■異国情緒漂う大間町の「天妃様行列」

大間稲荷神社に祀られている天妃様「本尊分身」
写真は天妃様行列での様子
写真提供/大間町観光協会

ところで大間町では、毎年7月に天妃様行列が行われています。どうして大間町に天妃様?!と不思議に思った筆者は、海から入った文化の中でも、特に天妃様が気になり深掘りしてみました。

天妃様行列は、1996年に始まったもので、歴史は四半世紀ほどですが、信仰の歴史は江戸時代にまで遡ります。
天妃様は実在する人物だったようです。
天妃様(媽祖(まそ・マーズー)様)は、960年3月23日に中国福建省蒲田県湄州島に生まれ、987年9月9日に28歳で短い生涯を閉じたと伝えられています。9歳で金剛教を、15歳にして儒教、仏教、道教の経典を理解し、16歳になると、自由に雲に乗り、むしろを敷いた海上を歩き、神通力を発揮。特に遭難船の人命救助にその力を使っていたといいます。
没後、海上守護、海難救助をする神、この世のあらゆる願いをかなえてくれる現世利益の神として信仰の対象となり今に至ります。現在でも中国、台湾をはじめ、東南アジアなど世界20カ国以上に約2億人を超える信者がいると言われています。2009年には「媽祖信仰」がユネスコの無形文化遺産にもなっています。

■大間の天妃様は日本最北

大間稲荷神社の天妃様拝殿(写真右)。
奥の院に天妃様本尊、天妃様拝殿に本尊分身が祀られている

日本でも各地で天妃様が信仰されています。香川大学の緒方宏海氏の論文「日本における媽祖信仰の受容と船霊信仰に関する歴史人類学的研究」(2020年)によると、現在、天妃様が祀られている神社は全国24か所にあり、中でも長崎県など九州や、茨城県など関東に多くあります。東北地方では宮城県1カ所と青森県の大間町にあります。これによれば、大間町は天妃様信仰の日本最北の地ということになります。
大間町での天妃様信仰は、伊藤五左衛門が1696(元禄9)年に遷座し氏神としたことに始まります(※1873(明治6)年に大間稲荷神社に合祀)。海を渡り、どのようなルートで大間町に入ってきたのかについては、定かではありませんが、薩摩(鹿児島県野間半島)経由説と水戸(茨城県那珂湊)経由説の2つがあり、水戸経由が有力説とされています。

伊藤五左衛門が天妃様を祀ったきっかけとして、1793(寛政5)年に大間を訪れた紀行家・菅江真澄が記した『大間天妃縁起』(大間稲荷神社蔵)には、こんなことが記されています。
「いつのことであったか、この浦(大間)の船、越前の船、もう一艘どこかの国の船が、大時化に遭って難破寸前の危機にさらされた。このとき、大間と越前の船乗りが一心に天妃の神を念じたところ、暗雲の中から天妃神が姿を現し、左右の手と口にくわえた三本の網で船を曳き、救出しようとした。このとき、天妃様の姿を見た船乗りたちはさらに大きな声で天妃の名を呼ぶと、それに答えようとした天妃の口からくわえていた網が離れてしまった。その一艘はたちまち激浪に呑まれて船乗りたちは海に消え、ひたすら天妃の加護を念じた大間と越前の船は危機を脱することができた。これ以来、船主(伊藤五左衛門)が天妃様を祝い祀ったものである」(『大間町史』より)

薩摩経由説は、この伊藤五左衛門が薩摩出身者だったことに起因しているようです。五左衛門は、5歳の時に大間に来て、船乗りから船主、そして大間の村長を務めた人物です。
水戸経由説については、『御領分社堂』(岩手県郷土資料館蔵 ※菅江真澄『大間天妃縁起』の40年ほど前に編纂)に、「大間の天妃様は水戸から来たもの」と記されているものの、確証には至っていないようです。
歴史家による推論では、水戸黄門の名で知られる水戸光圀(1628-1701)により天妃様の像を持った中国の僧侶が水戸に招聘された。→ 光圀は北方ロシアから日本を守る任務から、水戸から北海道松前まで調査を行っていた → 大間の伊藤五左衛門は光圀とつながっていた(五左衛門は、大間~水戸~江戸~長崎のルートを往来していた)という関連の中で、天妃様が大間につながったのではないかとされています。

■天妃様を通じた大間と台湾の交流

天妃様行列。右から「仙童(せんどう)」「哪吒太子(なたたいし)」「済公(さいこう)」「土地公(とちこう)」「千里眼(せんりがん)」「順風耳(じゅんぷうじ)」
写真提供/大間町観光協会

台湾での天妃様行列は「媽祖巡礼」と呼ばれており、台湾最大規模の祭礼です。お神輿を担いだ巡礼の列は、9日間に渡り330キロメートルを歩きます。信者たちはそれぞれ参加できる部分を巡礼し、その数はのべ100万人以上といわれます。
江戸時代から祀られながらも媽祖巡礼のような祭礼が行われなかった大間の天妃様ですが、1996年、当時の大間町観光協会会長の発議によって、7月の海の日に行われている大漁祈願祭に合わせて、天妃様行列を実施することになりました。
大間町では、それまで30年近くもマグロの不漁が続いていましたが、天妃様行列の開催を機に豊漁へと一転したといいます。現代における天妃様のご加護だと、関係者は喜びの声をあげました。
さらに翌年、大間稲荷神社と台湾の総本山・北港朝天宮が姉妹宮となり、行列では、北港朝天宮から寄贈された「本尊分身」「千里眼」「順風耳」などの人形が町内を練り歩くようになりました。また、大きな銅鑼の音や爆竹が異国の風情をさらに深めています。このように、天妃様行列の実施は、台湾と大間との交流の機会をもたらしました。

■最後に

北海道との交流、北前船の往来、そして異国文化の流入。下北を見つめたとき、海に開かれた下北は、常に新しい風が吹き込まれながら文化が形づくられてきた地域なのだと実感します。
さて、取材を終えた著者は大間と海と歴史のロマンを胸に、おおま温泉海峡保養センターへ。泉質は、ナトリウムカルシウム食塩泉、塩化物泉(無色透明)。さらりと肌に心地の良いお湯が、旅の疲れを癒してくれます。レストランが併設され、昼も様々なメニューを味わえますが、特に宿泊プランには、大間マグロ&陸マグロ(おかまぐろ:大間牛のこと)を味わえるコースがあり、これは旨いに違いありません。今度、泊まりに来るぞ!と決めた筆者でした。
ちなみにその大間マグロですが、9月から10月にかけての毎週日曜日には、キュウレイ(大間町旧冷蔵庫)特設会場で「日曜日はマグロだDAY」を開催しています。マグロ解体ショーや即売会、大間の特産品販売のほか、数量限定でマグロ定食も提供しています。本場大間のマグロを見て味わうイベント、ぜひお出かけください。 (※時化などの理由で、マグロの入荷状況などにより変更になる場合があります)

高台にあるおおま温泉海峡保養センター

\ この記事の著者 /

佐藤 史隆

季刊あおもりのき発行人

1972年青森市生まれ。青森高校、東海大学文学部卒業。帰郷後、地域誌「あおもり草子」編集部へ。2019年冬「ものの芽舎」創業。2020年12月あおもり草子後継誌として「季刊あおもりのき」を創刊。NPO法人三内丸山縄文発信の会(遠藤勝裕理事長)の事務局としても活動。2022年4月には、青森県の馬に関する歴史・民俗・産業などのあらゆる事象を研究するあおもり馬事文化研究会(笹谷玄会長)を立ち上げた。ちなみに佐藤家のお墓はむつ市川内にあり、毎年家族で墓参りをしている。

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杉山 寧(津軽海峡フェリー株式会社営業部所属) 野辺地町出身

まずはじめに、私は海が好きである。三方を海に囲まれた青森県に生まれ、海と共に28年間生活をしてきた。そんな私は現在、津軽海峡フェリー株式会社に所属をしており、海に携わる仕事についている。

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