2021-11-30

実は”文化遺産”級?薬研を巡る人と自然の営み

佐藤史隆 季刊あおもりのき発行人プロフィール

大畑ヒバ施業実験林と大畑森林鉄道跡
  写真提供/青森県下北地域県民局

<今回の深掘りキーワード>
「薬研と青森ヒバ」

森林資源が豊富な下北半島。特にむつ市大畑・川内・脇野沢地区、大間町、佐井村、風間浦村の土地のほとんどは、ヒバ林を中心とした国有林で覆われています。
下北地域は、藩政時代から林業を通じて栄えてきた地域です。そして現代において下北地域の森林は、産業だけではなく、観光資源としても魅力的な存在になっています。
その代表例が薬研渓流です。

■藩政時代から続く森林産業が紅葉を美しくした!?

薬研渓流の紅葉の風景が、なぜ、ひときわ美しく感じられるのか?
ある樹木医さんにお聞きしたところ、「落葉広葉樹と針葉樹が織りなす景色だから」と言います。「紅葉の華やかな赤や黄色に、針葉樹・ヒバの深い緑色が混ざることで、奥行きを生み、紅葉が一層映える」のだそうです。

青森県は、藩政時代からヒバの産地として知られていました。津軽半島では津軽藩がヒバの伐採を強く制限したのに対し、下北半島を統治した南部藩は、財源確保の必要性から木材生産に積極的であり、また、単に木材を伐り出すだけでなく、造林にも力を入れていました。この過程で、現在のヒバ林と落葉広葉樹が織り交ざる状態になったのだといいます。

今も残る大畑森林鉄道の歴史を伝える軌道
  写真提供/青森県下北地域県民局

林業の歩みは、明治以降も続きます。
明治42年(1909)に津軽森林鉄道が日本初の森林鉄道として開通します。続いて下北地域でも明治期に敷設を開始し大正2年(1913)に現在のむつ市川内に森林鉄道が開通。森林鉄道は、のちに薬研を含む大畑にも開通します。蒸気機関車が丸太を搬出し、昭和に至るまでの木材需要の全盛期を経て、戦後復興にも貢献します。

大畑森林鉄道  出典:農林水産省Webサイト

しかしそこには、当時の人々が乗り越えてきた大きな苦労がありました。
薬研などで伐採したヒバ材は、藩政期から明治期にかけては川湊から北前船に載せて流通していました。その頃から大畑川の河口付近にはヒバを扱う商人が集まり、大畑は大いに繁栄しました。
大正、昭和と木材需要は続き、伐採場所は山の奥へ奥へと進んでいきます。それに伴って森林鉄道が延伸されていく中、大畑川の険しいV字谷の岩盤が立ちはだかります。そのために作業員たちは、森林鉄道の軌道を通すためにずい道(トンネル)を掘ります。しかも岩を削る作業は、すべて人力で、ツルハシやハンマーを使って行われたのです。
薬研渓流には、昭和初期のずい道が残っており、当時の繁栄を支えた労苦の跡を今も見ることができます。

人力で掘られたずい道
  写真提供/青森県下北地域県民局

また、かつて川内森林鉄道と大畑森林鉄道で実際に走っていたディーゼル機関車(昭和36年製)を、青森市森林博物館で見学できます。昭和40年(1965)公開の映画「飢餓海峡」のロケで使用された機関車で、大畑森林鉄道廃止後、薬研温泉で保管されていました。昭和57年(1982)の青森市森林博物館開館の際に薬研温泉から移されました。森林鉄道の現存する車両は希少です。

■90年前から現在も続けられているヒバ林実験

森林産業が繁栄する一方で、下北地域に限らずヒバ林の荒廃が進み、これを食い止める対策が必要となりました。そうした時に開始されたのが、松川恭佐(まつかわ きょうすけ)らによる青森ヒバ実験林での調査研究でした。
「青森ヒバ施業実験林」は、昭和6年(1931)に下北半島大畑(むつ市)と津軽半島増川(外ヶ浜町三厩)で、青森ヒバの持続可能な施業方法をさぐるために始まりました。
このうち、大畑の実験林は、開始から90年が経過する現在も、下北森林管理署によって続けられています。
実験林は、面積221.94ヘクタール(東京ドーム47個分)という広大なエリアで行われています。実験林全体を20ブロックに分け、毎年2ブロックずつ、成長目安に達したものだけ伐採(択伐・間伐)し、それを10年のサイクルで一巡させるというものです。

長年の実験を通して、見えてきたことがあります。
択伐(抜き伐り)を繰り返した「施業区」では樹木の成長が旺盛となり、中径、小径の若い木が混じった森林に変化しました。一方、手を施さなかった「無施業区」では、成長が衰えた太い木が中心となり、若い木が育ちにくい森林へと変化しました。適切な択伐を行うことで、森林が活力を増すことが証明されています。

施業区の状況(上)と無施業区の状況(下)
  択伐することで森林に命が吹き込まれることがわかる
「大畑ヒバ施業実験林」パンフレット(東北森林管理局下北森林管理署)より転載

実験林内には観察歩道も整備され、見学することができます。ヒバに含まれるヒノキチオールにはリラックス効果があるとされ、気候の良い時季の森林浴もおすすめです。

■最後に

薬研渓流の遊歩道を歩くと「あー!自然っていいね!」と思うことでしょう。そこに、歴史的目線も含めて歩いてみると、たくさんの「いいね!」に「すごいな!」も増えることでしょう。遊歩道も、森林事業のために造られた名残りなんです。
ちなみに、下北地域に巡らされている国道や県道の多くが、もとは木材の輸送のために造られたものだといいます。(さらにちなみに、奥薬研温泉の夫婦かっぱの湯の整備には、営林署の人たちが関わっていたという話も)
今、私たちが当たり前のものとして楽しんでいる風景は、「人」と「自然」双方の営みが協調して生み出されたものに他なりません。そんなことを頭に置くと、目に映る薬研渓流の風景がより豊かなものに感じられるように思いました。

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\ この記事の著者 /

佐藤史隆

季刊あおもりのき発行人

1972年青森市生まれ。青森高校、東海大学文学部卒業。帰郷後、地域誌「あおもり草子」編集部へ。2019年冬「ものの芽舎」創業。2020年12月あおもり草子後継誌として「季刊あおもりのき」を創刊。書籍文化の醸成にも本腰を入れるべく、2021年夏に「ものの芽双書」を立ち上げる。NPO法人三内丸山縄文発信の会事務局としても活動。ちなみに佐藤家のお墓はむつ市川内にあり、毎年家族で墓参りをしている。

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長岡 俊成(イカす大畑カダル団 代表) むつ市在住

下北半島の奥座敷といわれる奥薬研温泉・薬研温泉の中心を流れる薬研渓流は、紅葉の名所として知られている。