2022-1-31

温泉にも食にも満足!下風呂温泉郷滞在記

佐藤 史隆 季刊あおもりのき発行人プロフィール

下風呂温泉郷に到着。夕景が迎えてくれた

<今回の深掘りキーワード>
「下風呂温泉郷」

1月13日午後。青森市から冬道を車で走ることおよそ3時間。窓の外には、冬の風にあおられて白いしぶきをあげる津軽海峡が見えます。
下風呂温泉郷の入り口にさしかかり、夕景を撮影しようと車を降りてみると、顔にびゅん!と寒風が。一瞬で体が冷えこみます。震える指先でシャッターをきりながら、「早く、温泉に行ってあたたまろう」と再び車に乗り込みました。

今回はいつもと趣を変えて、滞在記の形で、下風呂温泉を深掘りしてみたいと思います。
仕事が片付かず、年末年始で休めたのは元旦のみ。酷使している体から悲鳴が聞こえる中、ここで一気に疲労回復を図ろうと、大きな期待を持ってやってきたのでした。筆者は下風呂温泉に泊まるのが初めてだったので、なおさら楽しみにしていました。

■下風呂温泉は、室町時代から知られる名湯

今回の宿泊先は、今回の下北自慢エッセイを執筆してくださった長谷女将がきりもりする、まるほん旅館。明治20年創業の老舗です。

まるほん旅館

「ごめんください、お世話になります」
「ようこそ」奥から、やさしそうな長谷女将が迎えてくれました。

ここで、下風呂温泉の歴史を簡単に紹介します。
下風呂温泉は、今からおよそ600年前、室町時代後期にまでさかのぼるといわれています。江戸時代に入り、貞享年間(1684~1688)頃からは、南部藩により湯守が置かれ、また、北前船に乗ってきた商人たちも温泉で疲れを癒やすようになるなど、賑わいを増していきました。
温泉宿が立ち並ぶようになったのは、北海道でニシン漁が盛んになり、ニシンで富を得た者が、いわゆる「鰊御殿」を建てていた明治時代でした。
下風呂には北海道へニシン漁に行くために、大勢の漁師たちが集まるようになりました。まるほん旅館も、漁師たちを泊めるために開業したのが始まりだそうです。

長谷女将が宿泊部屋まで案内してくれました。
黒電話や大きな古い金庫が飾られ、レトロ感を漂わせる玄関先から、廊下を進んでいくと途中、歴史を伝える写真展示や、気の利いた本や雑誌が並ぶ棚があって興味をそそります。

まるほん旅館は、大湯源泉の白濁のお風呂

津軽海峡を見わたせるお部屋でひと息ついて、さあ、楽しみにしていた温泉へ!
私の知人らが「下風呂の湯は効くよ!」とか「くせになる」などと言っていたので、それを身をもって確かめなくては。
長谷女将が、「熱かったら水を足してくださいね」とのこと。「熱湯系どんと来い!」の私なので、それは大丈夫。と思ったのですが、なかなかのツワモノ。でもこのくらいがいい。深い浴槽に体をしずめ、硫黄臭のする白濁の湯をじっくりと堪能しました。

温泉に浸かっていると、下風呂温泉で終章を執筆したという井上靖の小説『海峡』の名文が頭をよぎります。
「ああ、湯が滲みて来る。本州の、北の果ての海っぱたで、雪降り積る温泉旅館の浴槽に沈んで、俺はいま硫黄の匂いを嗅いでいる。」

■「大湯」「新湯」と「浜湯」の3つの源泉

さて、下風呂には「大湯」「新湯」「浜湯」の3つの源泉があります。現在、下風呂温泉郷の宿泊施設の源泉の内訳は、大湯が2軒、新湯が3軒、浜湯が3軒です。
3つの源泉のうち、長い歴史があるのが大湯と新湯です。いずれも硫黄臭の元となる硫化水素型の泉質ですが、大湯は乳白色の濁り湯、新湯はサラサラとした透明の湯。大湯は効能が強くあらわれ、新湯の方が体への負担が少ないといわれています。

かつて大湯共同浴場で使用していたのれん

大湯と新湯、2つの共同浴場は、残念ながら施設の老朽化から、2020年の冬に惜しまれながら閉館しました。まるほん旅館には、大湯共同浴場で使っていた赤いのれんが飾られていました。閉館を惜しむファンの寄せ書きに胸がじんと熱くなりました。
現在、共同浴場と入れ替わるように大湯、新湯の2つの源泉を楽しめる日帰り入浴施設「海峡の湯」が開館しています。

■鮟鱇(あんこう)づくしに大満足!!!

温泉で体も芯からあたたまり、次は、楽しみにしていた夕食の時間です。
風間浦村で冬場の名物として推しているのが、鮟鱇。毎年12月上旬から3月頃にかけて、「風間浦鮟鱇まつり」と称して村内の宿泊施設や食堂で鮟鱇料理を提供しています。もちろん、料理の内容は宿屋店によって異なり、それぞれの料理人の腕の見せ所でもあります。
風間浦鮟鱇まつりについては、風間浦村商工会のページを御覧ください。お昼に食べられるお店もあります。

まるほん旅館の鮟鱇コース

実は筆者、鮟鱇が大好物なんです。
お膳に並ぶ鮟鱇づくし。お鍋、とも和え、唐揚げ、煮こごり、肝のステーキと、旨い!旨い!の連呼。地酒もすすみます。この日は泊まり客が少なかったとはいえ、手のこんだ料理を長谷女将がおひとりで作られたというのもすごい。
最も感激したのは、お刺身です。肝入りポン酢につけていただくお刺身は大変美味でした。淡泊でくせがなくさっぱりとした味わい。食感もよし。鮮度が命のため、産地以外ではなかなか食べることができない、まさに逸品なんです。

おなかいっぱいの夕食でしたが、浴場前の壁に掲げられていた「湯治十戒」を思い出す筆者でした。(自慢エッセイで長谷女将が紹介しています)
たしか「一、食べ過ぎるべからず」「一、酒飲むべからず」と。
長谷女将によると、湯治プランでは、量を減らし、バランスの良い食事にしているそうです。滞在日数の長い湯治になると、湯に慣れるまでは温泉効果から湯疲れにより食欲不振になったりするのだそう。「湯治十戒」は、より効果的な湯治をサポートするためのありがたい戒めなのです。普段の生活に取り入れても健康につながりそうですね。

■温泉郷で歴史や食を楽しむ

翌朝、気持ちよく目覚めて、朝風呂につかって、朝ごはん会場へ。普段は朝ごはんが喉を通らない筆者ですが、しっかりといただくことができました。
「また来たいな」。長谷女将に見送られ、感謝の気持ちとともに旅館をあとにしました。

午前中、帰路につく前に下風呂温泉郷を散策しました。
まるほん旅館からすぐのところに、大湯の源泉管理小屋があり、その両脇に自由寺の山門と若宮稲荷神社の鳥居が見えます。
宝暦3年(1753)建立の自由寺では、薬師如来祈祷を受けることができます。勇壮な大般若転読と祈祷太鼓。湯治客が湯治を始める前に健康と病気平癒を祈願するものです。(※ご祈祷は要事前連絡)
若宮稲荷神社のはじまりはさらに古く、明暦3年(1657)。長い石段を登り、神社から眺める下風呂温泉と漁港、津軽海峡が一望できる光景もおすすめです。

自由寺や若宮稲荷神社から海手の方には、大間鉄道アーチ橋があります。こちらは近代の産業遺産。大間鉄道は、戦前に建設が進められていましたが、大畑・大間間29㎞のうち、16㎞の基礎工事を終えた昭和18年(1943)に突然の工事中止。それ以降、工事は再開されることなく現在に至ります。

メモリアルロードと足湯スペース

下風呂の鉄道アーチ橋は、メモリアルロードとして整備され、駅のホームをイメージした小さな建物に足湯スペースが設置されています。私が訪れた時は、足湯は冬場でお休み中でしたが、今度来た時には、津軽海峡を眺めながらゆっくり足湯を楽んでみたいと思いました。(こちらの源泉は浜湯です) ※足湯は冬季間閉鎖

shimofuroカフェの店内

下風呂温泉郷に行くことがあったら訪ねてみたいカフェがありました。
shimofuroカフェです。
リンゴ箱などを使った壁一面の本棚が洒落ている店内。「たらこさん」の愛称で親しまれる店主の古川美香さんがいれてくれる挽きたてのコーヒーを飲みながら、ゆっくり読書をしたり、ボードゲームを楽める空間です。
訪ねた日は、ちょうど猫たちはお休みだった模様。古川さん曰く「機嫌が悪かったりすると、連れてこられなくて・・・」。
ここは、SNSでも猫のいるカフェとして知られていますが、いわゆる猫カフェではありません。猫だって気持ちがのらない日があるはずです。皆さんがこれから行くならば、出会えたらラッキーくらいの感覚で訪ねてみてください。

帰りのお昼に、海峡の湯で厚さ10㎝以上はあろう揚げたてさくさくの「げそ天ぷら」のうどんと、地元産の平目漬け丼を食べました。旨かったです!
そして、今回は行けませんでしたが、うまいと評判の工藤商店の飯寿司。今度行った時にはぜひ立ち寄りたいものです。

■最後に

本文では「翌朝、気持ちよく目覚めて」と書きましたが、実は職業柄、腰痛持ちの私、明け方に腰が妙に痛み、「あ、ヤバイ、明日は動けないかも」と思っていたんです。しかし、気がつくと再び眠りに落ちていて、痛みがすっかり消えています。逆に調子がいいくらい。一日の滞在でこれなら、湯治の効果はさぞや…と想像させられました。
短い滞在でしたが、温泉の効能も美味しい食事も、さらに小さな温泉郷の散策まで、十分に満喫することができました。
さあ仕事をがんばるぞ!

\ この記事の著者 /

佐藤 史隆

季刊あおもりのき発行人

1972年青森市生まれ。青森高校、東海大学文学部卒業。帰郷後、地域誌「あおもり草子」編集部へ。2019年冬「ものの芽舎」創業。2020年12月あおもり草子後継誌として「季刊あおもりのき」を創刊。NPO法人三内丸山縄文発信の会(遠藤勝裕理事長)の事務局としても活動。2022年4月には、青森県の馬に関する歴史・民俗・産業などのあらゆる事象を研究するあおもり馬事文化研究会(笹谷玄会長)を立ち上げた。ちなみに佐藤家のお墓はむつ市川内にあり、毎年家族で墓参りをしている。

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