横浜町の道の駅で名物になっているはちみつは、白くて、固まっている。横浜町の菜の花からできた「菜の花生はちみつ」だ。 横浜町ではちみつを生産している、澤谷養蜂園の看板商品である。5月に採取したはちみつを、その日のうちに瓶詰めした、非加熱のはちみつ。リピーターも多く、テレビで有名な料理研究家やパティシエも高く評価している逸品だ。
一般的に、はちみつは、淡い赤黄色をしていて、とろみがあるというイメージだ。はちみつは、気温が14度以下になるとブドウ糖の成分が白い固まりになる「結晶化」が起きる。菜の花のはちみつも、採ったその日は赤黄色でとろみがあるが、他の花の蜜よりブドウ糖の成分が多く、2週間程度で完全に結晶化してしまう。これが白くて固まっている理由だ。
昔は、固まったはちみつを一度加熱して、溶かして販売するのが当たり前だった。しかし、健康にこだわっているお客様に、自然そのままのものを届けたい、と考え、非加熱の生はちみつが商品化された。生のままなので、酵素が生きている。夏場に室温で置いておくと、発酵してガスが発生し、瓶からあふれてしまうこともあるので、冷蔵して販売している。
菜の花生はちみつは、採ったその日に瓶詰めしなくてはならないので、限られた量しか生産することができない。澤谷養蜂園では、菜の花以外にも、トチ、アカシア、うつぎ、クリなど、さまざまな種類のはちみつを生産しているが、自家採取のため、生産量は限られている。取引先も、やみくもに増やすのではなく、信頼のできる店に限定しているので、多くない。それにも関わらず、横浜町のはちみつは、高く評価され、特産品として存在感を持っている。それはやはり、澤谷養蜂園の澤谷昭さん、久美子さんが、こだわりを持って生産と販売に取り組んでいるのが、一番の理由だろう。
ミツバチは生き物なので、その世話をする養蜂の仕事は、一年中続く。特に忙しいのは、5月から7月の、花の時期だ。
5月、菜の花が咲き始めると、ミツバチが活発に蜜を集め始める。菜の花の時期が終われば、次はトチの花が咲く奥薬研に巣箱を移動。その後もアカシア、ウツギ、クリと、およそ2週間単位で花が咲いている場所に移動し、蜜が貯まるごとにしぼる作業を繰り返す。
「蜜を採る仕事もしながら、次の準備もするので、大変です。蜜を採るときも朝早くから作業するんですけど、別の花の場所へ巣箱を移動させる時にはもっと朝早くからの仕事になります。ミツバチたちが巣から出る前に巣箱の出入り口を閉めないといけないので、夜明け前の作業です。私たちは午前2時ごろに家を出発することもあります」
と話す昭さん。久美子さんも、
「本当、短い期間がめちゃくちゃ忙しい。大変ですね。でもその時期にだけ蜜が収穫できるので、大変だけどうれしいんですよね」
と笑顔で教えてくれる。
蜜を採る期間は短いが、それ以外の期間も作業は山積みだ。巣の基礎になる部品を新しくしたり、蜂群を増やすために新しい女王蜂を作ったり、ミツバチに影響がある農薬が散布される時期には巣箱を避難させたりしなければならない。蜜の時期以外にどれだけ手入れをしたかが、次の年の収穫に直結してあらわれてくる。
とはいえ、やはり自然相手なので、思うようにいかないことが多い。花が咲かなければ、当然、蜜はない。また、気温が低かったり、雨が降り続いていたりすると、ハチは動きが鈍くなり、蜜を集めてくれない。今年の春先は気温が低い日が続いた。昭さんはこう話す。
「菜の花の時期は大変でしたね。それでも最後に少しだけ条件が良くなって、何とか採ることができてよかったです。この地域はヤマセ(冷たい東風)の影響を大きく受けるので、春先は特に気温が上がりにくい。ヤマセがあるというのは、全国的に見ても特に、養蜂家に不利な気候条件です。
不利な地域ではあるんですけど、日本一の菜の花畑があるから、他と差別化することができて、養蜂の仕事も成り立つ。菜の花を作っている農家さんがあるから、私たちがある、というのを忘れないようにしないといけないと思っています」
花の咲き方も、ハチの動きも、人間がすべて制御することはできない。澤谷さんは、思うようにいかない自然の中で、自分たちのできる最大限の仕事をしている。
澤谷養蜂園は1946年から70年以上養蜂を営んでいる。昭さんは、三代目だ。余談だが、昭さんは3月8日生まれ。3月8日といえば、語呂合わせで「ミツバチの日」である。
ミツバチの日に生まれたからといって、ハチが大好きだったかというと、そんなことはない。親の仕事を手伝うことはあったが、ハチに刺されることもあるし、つらくて大変だというイメージしかなかった。大学卒業後は地元のスーパーマーケットに就職し、20年以上勤務した。そして、40歳を過ぎたころ、養蜂を営む父が高齢に差し掛かってきたことから、家業を継ぐことを決めた。
継ぐとはいっても、昭さんとしては、養蜂経営スタイルの変革が必要だと、強く感じていた。
「昔からの養蜂家の経営は、採った蜜を問屋さんに販売するのが中心でした。ですが、この地域は気候的にも、規模的にも、一般の人に直接販売していかなければ利益が出てこないと考えていました。最初は道の駅の産直コーナーから始めて、今は問屋さんに卸すのではなく、相手がわかっている販売店さんや、消費者の方に直接販売しています」
と話す昭さん。スーパーマーケットでの勤務経験から、販売の知識や人脈があったことも幸いした。自社ホームページでの通信販売も2005年から開始した。2005年というと、まだ生産者個人で通信販売に取り組む人はほとんどいない時代。しかし、いずれは通信販売の時代が来ると考えて取り組み始め、今では当たり前の存在になった。
現在はさまざまな場所に販路が拡がってきたが、販売については、当初から変わらない考え方があるという。久美子さんはこう話す。
「地元を一番に、っていうのをずっとぶれずにやっていますね。横浜町の一番大きなイベントが、5月の菜の花フェスティバルです。でも、蜜は菜の花の満開が過ぎて、フェスティバルも終わってからでないと新しい蜜が採れない。だから、フェスティバルのために、前の年からの販売用はちみつを売り切らずに取っておくようにしています。フェスティバルで商品がないと、地元に恩返しもできないので、たくさん売れる商談が来ても断ることもありますね」
このような考え方を貫いているのは、まだ直販を始めて間もないころに商品の売り込みに力を貸してくれた、食に関するマーケティングリサーチ等をおこなっている会社社長の後押しやアドバイスがあった。お店などに商品を置いてもらう時には、その店を訪れて、相手のことを理解してから販売するようにしているのが、アドバイスを受けて続けている、もう一つのこだわりだ。遠くは岡山県や三重県などにも、直接訪問して、お互いに理解し合ってから取引をしている。
「ぶれずにやっているから、新しいお客さんや、全国に名の知れた料理研究家の人に使ってもらったり、いろんなことがつながっていると思いますね」
と久美子さんは話す。
澤谷養蜂園では、食べる人に直接販売しているので、さまざまな反応やリクエストも直接帰ってくる。そんなお客さんの声から生まれたはちみつもある。横浜町のウツギの花からできたはちみつだ。
うつぎは、6月にピンクや白の花を咲かせる低木だ。下北半島では、土地の境界を示すために植えたり、道沿いに自生していたりする、非常にポピュラーな花である。このはちみつが商品になったきっかけを、久美子さんが教えてくれた。
「昔は、うつぎの蜜というのは問屋さんに出す規格にはないので、『雑蜜』という扱いだったんですよ。でも、お客さんは気になるから、雑蜜と言っても何の蜜なの、って質問されるんです。長年養蜂をやっている父に聞いたら、その時期のはちみつは、色が白っぽいのはうつぎが中心で、黒っぽければクリだって。お客さんにもそう回答したんです。そう考えると、問屋さんの規格にこだわらなくても、商品にできると気づきました」
うつぎの花は、地元の人たちにとってはとても身近な花だ。味も特徴的で酸味があり、ヨーグルトなどによく合う。他の地域ではあまり作られていない、横浜町ならではの商品である。
また、発売当時は既製品のラベルを使っていて、既製品がないうつぎのはちみつは、手づくりするしかなかった。ところが、逆に手づくりのラベルも雰囲気が出ていて良いと評価されるようになり、オリジナルのパッケージを増やしていくきっかけになった。お客さんの声が届くことで、さまざまなヒントを得ることができている。
澤谷養蜂園で販売している様々なはちみつ加工品も、食べる人の声を反映して作られている。はちみつ生キャラメルや、巣がそのまま入った「雫」、はちみつホイップバターなど、さまざまな加工品を自家製造しており、道の駅よこはまなどで販売している。
写真撮影のために並べてみると、種類の多さに澤谷さん夫妻自身が「1つ1つ増やしていたら、いつの間にかこんなにたくさん作っていたんだね」と驚いていた。
この中にある「食べるはちみつ」は、数種類のナッツをはちみつ漬けにした逸品。開発したのは2011年、東日本大震災の年だ。実際に商品開発に取り組んだ久美子さんが語る。
「商品を扱っていただいているお店から、こんな商品ができませんか、と声をかけていただいたんです。私たちは震災で暗い気持ちだったんですけど、お店も観光客が少なく苦しい中で声をかけてくださったので、どうにか考えましょうということになりました。」
当時の流行や他社の商品を参考にしながら、開発をスタートした。最初はナッツをただはちみつに漬けただけだったが、アクセントに塩をプラスしたり、食感を良くするためにローストしたり、さまざまに試行錯誤した。
「いったん出来上がって、それをお世話になっている料理研究家の先生に贈ったんです。そうしたら、ローストにもうひと手間かけてはどうかとアドバイスいただいたんですね。最終的には2回ローストするダブルローストで、すごく手間がかかる商品になったんですけど、今でも注文が入ります。人とつながりがあったから、これだけ寿命がある商品になったんでしょうね」
と久美子さん。
実は澤谷養蜂園の加工品は、商品はもちろん、パッケージのラベルや付属のカードなどもすべて手作りしている。多数の注文が入ると、パッケージづくりに四苦八苦することもあるそうだ。それでも1つ1つ、心を込めて生産している。
「これからも、無理なく、おいしさが広がるような加工品を作っていけたらいいなと思います」
と久美子さんは話す。
今、心配されるのは環境の変化だ。特に、菜の花がなければ菜の花はちみつは生産できないので、菜の花畑の維持が欠かせない。作付け面積は徐々に減少しており、町の努力もあってなんとか維持されているが、今後の動向が心配されている。とはいっても、これは養蜂家がどうにかできるものではない。その時にある自然の中で、最善を尽くしてハチの世話をして、より良いはちみつを生産するしかないのだ。澤谷さんとしては、花の状況や気温などの影響ではちみつが不作の年にも、正直に、自然のものだということを伝えていきたいと考えている。
これからの目標を聞くと、昭さんはこう答えた。
「自分たちで、直接、生産者から買ってくれる人を増やしたいですね」
2020年春、世界的に新型コロナウイルスが猛威を振るい、5月の菜の花フェスティバルも中止になった。売上的にも、気持ちの面でも、やはり非常に落ち込む出来事だった。そんな中、以前買ってくれた人に、新しく採れた蜜の案内をハガキで送ったところ、想像以上の大きな反響があった。そういったお客さんからの反応が力となって、苦しい時期を乗り越えてきた。
急拡大するのではなく、人とのつながりを大切にしながら、一つ一つ進んできた昭さんと久美子さん。これからも、ぶれずに、正直に、はちみつを通じて、新しいつながりを生み出していく。