下北人SHIMOKITA-BITO

行く夏を惜しむ下北の祭り「田名部祭り」

夏、全国各地で盛大に祭りが行われる。特に、夏が短い東北の人々は、夏祭りへの思いが強い。青森県内では、8月のはじめに八戸三社大祭、青森ねぶた祭、弘前ねぷた祭など、それぞれが熱狂的な盛り上がりを見せる。その東北の伝統的な夏祭りの最後を飾るのが、むつ市の田名部神社で8月18日から20日の3日間に渡って行われる「田名部神社例大祭」、通称「田名部祭り」だ。

田名部祭りは、いつから行われているのか定かでないものの、370年以上の歴史を持つと言われる。船で往来があった京都祇園の祭りの影響を受けているとされ、飾りや囃子など、随所に似ている部分がある。
祭りでは神事が執り行われるとともに、町内をきらびやかな5台の山車が運行する。
最終日には、山車が全てそろって樽酒を酌み交わし、来年の再会を誓う「五車別れ」が行われ、クライマックスを迎える。その盛り上がりは、まさに東北の夏祭りの総仕上げにふさわしいものだ。

「田名部神社は下北半島の総鎮守、つまり全体を守っている神様です。ですから、田名部祭りは、山車を出す人や祭りに直接関わる人だけでなく、下北半島全体のための祭りなんです。」
こう教えてくれたのは、田名部神社の禰宜、小笠原佐さん。叔父である宮司を補佐しながら、神社を通じて地域を盛り上げている。

 田名部神社に祀られている神様は、「味耜高彦根命(あじしきたかひこねのみこと)」で、農耕の神、天候の神、また、海運の神として信仰されている。ちなみに、田名部祭りは雨が多く、地元の言葉で「がんべ祭り」(雨の祭り)と言われる。これは実は、農耕の神様だから、田畑に必要な雨が降りやすい時期に、祭りの期間が設定されているのだ。小笠原さんは、「私が手伝い始めたころ、毎年晴れ続きで、晴れ男だと自慢に思っていたら、とんでもない。雨も、祭りに大事なものだったんですね。最初は知らなかったです。」と笑う。

幾度もの火難を乗り越えて

田名部神社は、建物が密集した町中にある。通りに面した大きな鳥居をくぐると、正面に大きな拝殿があり、その右側に、歴史が感じられる神楽殿がある。神楽殿は、祭りの時に能舞や神楽が奉納される舞台でもある。

むつ市は昔から火災に悩んできた地域だ。田名部神社は、昔は丘の上にあった。しかし、大火災に見舞われた人々から助けを請われるような形で、現在の場所に移転してきたという。とはいえ、現在の場所で、神社も何度も火難に襲われた。かつては、火災に備えて、神社の宝物を、祭りを支える五町が分散して保管し、火災で建物が燃えても祭りを続けられるようにしていたほどだ。

何度も火災があったことを踏まえて、現在の神社は建物全体が火に強い鉄筋コンクリート製になっている。外回りに木製部分もあるが、実はシャッターが取り付けられていて、建物の中まで火が回らないようになっている。一般の参拝者が参列する拝殿、祭儀をする幣殿、ご神体が安置される本殿は、現在は一続きの建物だが、これも防災上の理由から、昔は別々だったものを同じ建物にした。その名残で、本来は屋外に置かれる狛犬が建物の中にある。

そして、建物の外に目を向けると、神社の周辺に大きな木が少ないことに気づく。唯一、イチョウの木だけが年齢を感じさせるが、イチョウは火災に強い木とされる。他の木はまだ数十年の若い木々だ。
「神社には、神々の住む森がつきもの。でもここは木が少なくて。火事があれば燃えてしまいますからね。森があればいいのですが、すぐには木は育ちませんので、時間がかかります」と小笠原さん。

田名部神社を囲む不思議な風景

小笠原さんは、神社の周りを指さしながら話す。
「この神社は、森ではなく、スナックに囲まれた神社。全国的に見ても、珍しいですよね」

神社のすぐ隣に「神社横丁」と看板が立てられており、スナックが立ち並ぶ。これらは実は神社の敷地を借りて営業していて、つまり境内にあることになる。神社の境内に33軒ものスナックが営業している。この近隣はむつ市一番の繁華街で、境内以外のお店も含めると、数百軒の飲食店に囲まれているのが、田名部神社なのだ。いとつなぐことができない。自分の中でその情報をかみ砕いていなければならないと思っています」

戦後復興のために行われた市場が、現在のスナック街の起源だ。戦後の復興のため、神社の慈善事業として、野菜や魚を売る行商人たちに安く土地を貸し、店が出来た。復興が済めば建物自体を壊してしまうはずだったが、店が抜けたあとにスナックが入店し、いつしか現在のような形が出来上がった。

店を取り壊したら神社の塀になるように計画されてつくられたというが、今ではそのような気配はなく、すっかりむつ市の名物になっている。むつ市の観光ガイドプログラム「田名部の夜のまちあるき」の中では、神社の境内にスナックが並ぶ風景として楽しく案内されており、観光資源になっている。

「日本古来からの暮らし」の経験を活かす

小笠原さんは、大学卒業後、皇居内にある宮中三殿賢所(きゅうちゅうさんでんかしこどころ)に奉職した。一般にはあまりなじみのない場所だが、わかりやすく言うと、皇室の祭祀をつかさどる場所だ。皇祖神である天照大御神をはじめ、歴代天皇および皇族方の御霊、日本全国の八百万神々が祀られている。

「仕事というより、神様と一緒に生活をしている感覚でした。朝起きたら御殿の格子を開け、掃除をして、次のお祭りのお供え物を一日準備したり、季節ごとの行事をしたり。」
と小笠原さんは話す。

小笠原さんが携わった中で印象深かったのは、20年に一度行われる、伊勢神宮の式年遷宮だという。神様が新しい御殿に引っ越しする遷宮の行事では、神様に天皇陛下から贈り物をする。この贈り物を届ける役を、小笠原さんが担った。天皇陛下の代理として贈り物を運ぶ大役で、そうそうできる仕事ではない。この仕事を節目として、田名部神社の神職を継ぐためにむつ市にUターンした。

小笠原さんは、前職の経験を活かし、地域に還元していきたいと考えている。
「今の日本では、季節の行事や、伝統というか、自然と合わさって行われてきた営みがどんどん失われていると思います。前職で、神様と一緒に生活をするという感覚の中で覚えてきた、日本らしさというか、昔からの暮らしを地元の人たちにも伝えていきたいと思っています。」

田名部神社をもっと楽しく、身近に

5月には田名部神社で「泣き相撲大会」が行われている。親子で神社に親しんでもらい、みんなに神社の思い出を作ってもらおうと、小笠原さんが企画した新しい取り組みである。

江戸時代には神社はもっと人々の暮らしと密着していて、日常的に神社を訪れることが当たり前だったはずだ。しかし、時代は変わり、田名部祭りと正月しか神社に来ないのが普通になってしまった。
神社と人々の暮らしを再び近づけるとともに、昔からの暮らしに目を向けてほしい。小笠原さんはそう考えている。

「わかりやすい5月の子どもの日を取り上げ、泣き相撲大会の企画を始めました。それから、6月30日には、『大祓』といって、日々の生活でたまった罪汚れをおはらいする行事がありますが、あまり知られていません。だから、有名な七夕の行事と組み合わせて、七夕のお願いに神社に来てもらって、ついでに茅の輪をくぐっておはらいしてもらおう、ということもやっています。そういう行事の準備のために、一日中ミシンを走らせたり、折り紙を折ったりする日もあるので、他の人から見たら、仕事してないように見られているかもしれないですね。」と笑う小笠原さん。
とはいえ、小笠原さんがこのような地域を盛り上げるような行事に取り組むことができるのも、昔から行われてきた神事が後ろ盾としてあるからこそだ。

「神様がいらっしゃって、田名部祭りという立派なお祭りがあってこそ、自分の取り組みができる。自分の取り組みを通じて、少しでも田名部祭りの価値も上がるような、全体として底上げにできるようにしていきたいと思っています。」

と言いながら、次々と計画中の構想を話してくれる小笠原さん。実は、およそ40年前、神社は子どもたちが遊びまわり、曲芸やゲームセンターも出店でやってくるような、「ワンダーランド」だったという。昔と同じである必要はないが、少しでも神社が地域の繁栄に貢献できるようにと、田名部神社は動き続けている。
神職らしい柔らかそうな手の小笠原さんは、今日も、ミシンに折り紙に、いや、神社の仕事に、大忙しだ。

Text : 園山和徳  Photograph :ササキデザイン 佐々木信宏

田名部神社


所在地
〒035-0034 青森県むつ市田名部町1−1
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電話番号
むつ市観光戦略課 0175-22-1111