下北人SHIMOKITA-BITO

本州の最果て、こんなところに大行列! ?

下北半島の一番奥、佐井村福浦地区に、行列のできる食堂がある。食堂の名は「ぬいどう食堂」。多くの人を行列にいざなうのは「ウニ」だ。津軽海峡のキタムラサキウニ。濃厚なうまみととろける食感。新鮮だからくさみや苦みがない福浦のウニは、人々を魅了してやまない。
ぬいどう食堂を有名にしたのは、何といっても「ウニ丼」だ。ごはんが隠れるほどたっぷりとウニが乗ったウニ丼が、破格の1500円で提供されている。普通に暮らしていれば数年かかっても食べる機会がないであろう量のウニを、一度の食事で味わえるのだから、なんというぜいたくな丼なのだろう。

そして、もうひとつの看板メニューが「歌舞伎丼」である。その時の水揚げによって内容が変わるが、ウニ、いか、いくら、あわび、まぐろなどの具材が日替わりで乗った、こちらも大変ぜいたくな丼だ。
ウニが獲れる時期は5月から8月で、その時期に特に行列ができる。ただし、注意しなければならないのは、その日の天候、漁模様だ。

ウニが獲れなければ、ウニ丼は提供できない。きれいに晴れていても、風が強ければ漁に出られないので、ウニはない。食堂では、朝から問合せの電話が鳴りっぱなしということもしばしばだ。
とはいえ、ウニがなくても満足のいく食事ができる。刺身を主体とした海鮮丼、佐井村産秋鮭のいくらしょうゆ漬けがたっぷり乗ったいくら丼、昔ながらのラーメンまで、どのメニューもおすすめ。丼にセットで付いてくる煮魚やみそ汁もうまい。

遠くまで来た人を心からおもてなししたい

取材の日は、晩秋でウニの時期は終わっていた。それでも、噂を聞いたお客さんが、海の幸を求めて訪れる。
インタビュー開始前、来店したお客さんが、「何にしようかな、海鮮丼がいいかなあ、いくら丼がいいかなあ」と悩んでいると、店主の柳田さんが一言。
「歌舞伎丼、どうですか。安くて、いくらも乗って、いいと思いますよ」と、悩んでいたメニューより安い歌舞伎丼に誘導してしまった。
「やっぱり、遠くから来て、安くおなかいっぱい食べて帰ってほしいじゃな」と笑顔で話す柳田さん。

確かに遠い場所だ。最寄り駅のあるむつ市から車で90分。路線バスはなく、公共交通機関は青森―佐井間の定期船だけ。青森市から船で2時間の場所である。それだけアクセスが悪いにも関わらず、噂が噂を呼んで、遠くは九州、沖縄、海外からのお客さんも来るようになった。だからこそ、わざわざ来てくれたお客さんを、精いっぱいおもてなししたい。それが柳田さんの思いだ。

春のウニ漁の時期には、柳田さんは旦那さんと夫婦で沖に出かけ、ウニを獲ってくる。自ら獲ってくるウニだけでなく、できるだけ多くの人に食べさせたいと、他の漁師や漁協からも仕入れる。漁が終わってから仕込みをして、夕方まで食堂の営業。大忙しだ。
「お客さんいっぱい来て儲かってるか、って聞かれるけど、儲けはないですよ。数をこなしているから生活できているけど。儲けなくても、お客さんをがっかりさせたくないっていう気持ちですよ」
と柳田さんは話す。

お客さまに育てられ、繁盛店に

柳田さんは、浪岡町(現在の青森市浪岡)出身。山に囲まれたりんごの里から、最果ての漁村に嫁いできた。嫁いで3日目には、海の仕事を手伝って働くようになった。
「そんな生活だって想像もしてなかった。海の仕事ができるような服も最初は持ってなかったんだよ。でも何でもやった。アワビ漁もコンブ漁も、漁師の人に負けないくらい頑張ったよ。夫婦船で、沖に出て網もやったし。」 と柳田さん。

そして、今から約40年前、お店を始めることにした。
開店当初は、今のような海鮮丼の店ではなく、自分たちが獲った海藻を売る店として始めた。だが、いきなり目論見が外れてしまう。
「海藻は売れなくて、最初のころは地元の子どもたちだけしか来なかったですよ。おでん作って、子どもたちが食べに来る。家族がみんな漁で忙しくて、ごはんを作ってやれなかったんですね。それから学校の先生が食べに来る。そんな感じで10年くらいやっていました。」

最初は地元向けの食堂として続いたぬいどう食堂。とはいえ、もちろん、観光のお客さんも来た。当時、観光客向けのウニ丼は、今の形とは全く異なるものだった。
「実は、生のウニを丼で食べるっていうのは、地元ではあんまりやらなかった。そういう食文化がなかったですね。だから私も不安で、蒸したウニに青じそを添えて、ごはんに乗せてウニ丼として提供したんです。でもある時、お客さまから、獲れたてのウニなんだから生で食べたいって言われて、それから今のようなウニ丼を出すようになりました。30年くらい前のことですけどね。」

生ウニ丼を出すようになると、テレビや雑誌の取材も入るようになり、名が売れるようになった。そして、行列のできる大人気店に成長した。
「大事なことは全部お客さまから教わって、勉強しています。」

支えられて、これからも

福浦地区には、明治時代から伝承され、青森県無形民俗文化財に指定されている伝統芸能「福浦の歌舞伎」がある。ぬいどう食堂の名物「歌舞伎丼」は、この福浦の歌舞伎にちなんだものだ。
浪岡から嫁いできた柳田さんは、初めて歌舞伎を見た時には、意味が分からず、何も感じなかったというが、だんだんと理解していくうちに、いいものだと思って好きになった。実際に舞台に上がって、家来や百姓の役を演じたこともある。そこで、歌舞伎にちなんだメニューを考えようと、何回も試作して、イカ、いくら、ウニなどを使う丼ができた。具材の色が赤、白、黄と鮮やかな色で、歌舞伎を連想させる派手さだ。

「若いころは、漁協の婦人部の活動で、歌舞伎でも踊りでも何でもやったよ。まだ若ければ、舞台に上がりたいくらい。」と話す柳田さん。
田舎だから、地域のつながりが強く、頼まれれば断れない。地域の活動だけでなく、漁業でも、魚が獲れれば譲り合うことも珍しくない。丼に付属の煮魚は、他の漁師からのもらいものだったりする。

お客さまとのつながり、地域とのつながりが、ぬいどう食堂を支えている。
「70になりましたけど、まだまだ頑張りたい、お客さまをおもてなししたいと思ってます。来た人を喜ばせたい。手抜きをしないように頑張っています。」
そう話す柳田さんは、毎日、店の前から見える山に手を合わせ、商売繁盛を祈る。山は、店の名前の由来になった「縫道石山」だ。
お客さまにも、地域にも、山の神様からも愛されるぬいどう食堂で、今年も、絶品の海の幸を味わいたい。

Text : 園山和徳  Photograph :ササキデザイン 佐々木信宏

ぬいどう食堂


所在地
〒039-4712 青森県下北郡佐井村長後福浦川目15−1
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電話番号
0175-38-5865