下北人SHIMOKITA-BITO

脇野沢の代名詞「マダラ」

毎年12月、「脇野沢でタラ漁の『場取り』が始まった。」と、新聞やテレビが一斉に報じる。下北の人々は、ニュースを聞いて、さあ、真冬がやってくるぞ、と気合が入る。「場取り」とは、海で漁師たちが、タラ漁の網の仕掛け場所を早い者勝ちで取り合うことだ。脇野沢ではタラ漁が江戸時代の前半から始まったと伝えられている。大漁と不漁を繰り返しながらも、300年にわたって、脇野沢の代名詞として地域を潤してきた魚だ。
産卵のために冬にふるさとの陸奥湾に帰ってくるマダラ。漁は年末に最盛期を迎え、2月まで続く。

タラは捨てるところがほとんどない魚で、頭からしっぽの先まで、さまざまな料理で脇野沢の食を支えてきた。
今回、タラの郷土料理をふるまっていただいたのが、山﨑輝美子さん。タラのイベントや取材となると、まず山﨑さんに声がかかる。
市内で行われるイベントはもちろん、東京での移住イベントでもタラ料理をふるまって、脇野沢を宣伝したことがある。1994年から脇野沢の婦人会会長を務めており、みんなからも頼られる存在だ。
「頼まれれば断れなくてね。みなさんの力を借りて何とかやっています」

自然と身についた家庭の味

イベントなど、さまざまな機会に郷土料理をふるまう山﨑さん。誰かに習ったというより、自然に体に染みついた味を提供する。
山﨑さんは、現在のむつ市の中心部である本町の金物雑貨屋で生まれ、20歳の時に脇野沢出身の学校の先生と結婚した。1965(昭和40)年に、旦那さんが脇野沢の学校に転勤になったのを機に、旦那さんの実家である現在の家に引っ越した。

山﨑家は、当時は網元で、定置網でイワシを獲って焼き干しを作ったり、小女子を獲ったりと、家族と働き手たちで、家の中はいつも慌ただしくしていた。嫁いだ輝美子さんは皆の食事の世話などを担った。
残念ながら現在は漁業を営んではいないが、昔を懐かしみながら山﨑さんは語る。

「我が家の作りは、ちょっとは変えましたけど、基本的に昔のままなんです。広い土間があって、ここで雇われて手伝ってくれている方にご飯を出して、それが終わってからうちの家族が食べるようにしていました。朝は早く、4時くらいから、何人かで分担して、掃除して料理して、って大変でしたよ」

嫁いできた当初は、もちろんタラをさばくこともできなかった。でも、いつの間にか見よう見まねで、できるようになる。脇野沢に嫁いできた人たちは、みんなそうだ。
今回、山﨑さんと一緒に料理をふるまってくださった濱田さんは「最初は、タラもさばけないのかって、怒られるのよ。怒らなくてもいいのにねえ。」と言って、山﨑さんと二人で笑った。
子どもの頃に祖母を見て覚えた味、脇野沢に来て生活する中で覚えた味。自然と混ざり合って現在がある。

タラをすみずみまで味わい尽くす脇野沢の文化

取材で出していただいたのは、タラのフルコースとも呼べるような、タラ尽くしの料理の数々。こちらからは「タラ料理をお願いします」とだけお伝えしていたが、食べきれないくらいのたくさんの料理を用意してくれた。すべて山﨑さんと濱田さんの心のこもった手料理で、料理からもお二人のお人柄を感じる。どこか、ほっとする、そんな料理だ。
山﨑さんは、「御飯3杯おかわりして、いっぱい食べてね」と、最後に愛情たっぷりの一言も添えてくれた。

・タラの味噌漬け焼き
・タラのとも和え(タラの身や皮を、タラの肝と味噌で和えたもの)
・タラの子和え(大根、人参、ワラビをタラの卵で和えた煮物)
・こっこしょうゆ漬け(タラの卵をしょうゆで漬け込んだもの)
・タツのもみじおろし(タラの白子に唐辛子と大根おろしを添えたもの)
・昆布締め(タラの刺身を昆布で締めたもの)
・タラのコロッケ
・こっこ汁(タラの卵のお吸い物)
・タラのじゃっぱ汁(タラのアラで作った汁)

今回は旬ということで、生のタラをご用意いただいたが、脇野沢では、保存食としてもタラは欠かせない。冬の間、各家の軒先に吊るされた寒風干しタラは、季節の風物詩といえる光景である。そして、山﨑さんが教えてくれた脇野沢独特の食文化が、「ささめ」。これはタラのエラを干したもので、刻んで野菜と一緒に煮込んだり、煮しめ、炒め物にしたりすると、タラのダシが食材の味を引き立ててくれる。

脇野沢の心のふるさと「かっちゃ」

山﨑さんは婦人会の会長として、地域のさまざまな行事にひっぱりだこだ。6月から10月には、月1回、脇野沢漁港で行われる朝市で、おはぎなどのおふくろの味を提供。敬老会や消防の出初式などの行事の時には、出し物として地元の踊り「脇野沢音頭」を披露する。婦人会以外にも、赤十字奉仕団の委員長として地域の奉仕活動に勤しんだり、交通安全母の会会長として小中学生の交通安全街頭指導を行ったりもしている。もはや、地域のおっかさん的な存在だ。

今回のように地域の取材などで来客があると、手を尽くしてごちそうをふるまう。
「来てくれた人には、食べさせたいし、飲ませたいしさ。そういうのが好きなんだべね」と笑顔で語る山崎さん。昨年の夏には、休館中の脇野沢温泉の営業再開に向けたワークショップに、脇野沢地域に11名の大学生、大学院生がインターンシップで訪れた。山崎さんも住民の人たちと一緒にワークショップに参加していたこともあり、その流れで滞在期間中は学生達を自宅に泊め、手料理を腹一杯食べさせたという。

「実の子どもや孫だけじゃなくて、育ての子どもや孫みたいな存在がどんどんふえちゃって。それがうれしいんだよね。」
学生たちと力を合わせて企画した脇野沢温泉が、4月22日にリニューアルオープンする。山﨑さんは育ての孫たちとの再会を心待ちにしている。
お母さんのことを、脇野沢の言葉で「かっちゃ」という。山﨑さんは、その優しい手で、地域の「かっちゃ」として、地元の人、そして訪れる人々の心を包み込んでいる。

Text : 園山和徳  Photograph :ササキデザイン 佐々木信宏

山﨑輝美子様は、令和2年度までむつ市脇野沢地区連合婦人会の会長を勤められました。