2022-1-20

下風呂温泉は不滅です!

長谷 雅恵(下風呂温泉おかみの会 会長)風間浦村在住プロフィール

下風呂温泉復興宣言を行う下風呂温泉おかみの会
  写真提供/風間浦村産業建設課

前年のサリン事件でまだまだ騒然としていた東京からUターンした私が、今ではもうどこからの依頼だったのかも忘れてしまった短い文章の表題にしたのが、この言葉です。
「下風呂温泉は不滅です!」

その頃、久しぶりに出会う村の人たちはほとんど、なしてこったらどごさ(どうしてこんなところに)帰って来たのさ、と言うのです。バブルがはじけて、私の故郷下風呂温泉もずいぶん寂しくなっていました。だからこそ言いたかった「下風呂温泉は不滅です!」
帰省して温泉に入り、狭い東京の部屋で着替えをすると、微かに香る硫黄の匂い。これこそ温泉。小さな袋に入った入浴剤とは全く違う本物の香りです。
それに気が付く度に、温泉郷が故郷なんてなんと贅沢だと悦に入っていました。

昭和30~40年代のまるほん旅館と宿泊客

まるほん旅館の内湯

子供の頃の旅館のお客様は半分以上が湯治のお客様だった記憶があります。1週間から長い人で2週間、農閑期に体を休めに来る人もあれば、ケガをしてその後のケアに来る人もいました。毎年いらっしゃる人も沢山いて、その頃泊まり込みで働きに来ていたスタッフのお姉さん方と、お客様が帰る前の日はさよなら会を催して賑やかにしたものです。
湯治は療養の様なもの、入院する位の気持ちじゃないとダメなんだ。今の「遊び湯治」じゃ治るものも治らないと、母が良く言っていました。数年前、TV取材が入った時にその話をしたら、色々ある注意事項を書きだしたら面白いという話になり、「湯治十戒」ができました。

湯治十戒

まるほん旅館ではこの十戒を守ってこそ、下風呂温泉の効能が生かされるのです、と言うことにしました。こんなふうに下風呂の温泉施設にはそれぞれ言い伝えられてきた戒が存在しているのでしょう。
よたよたと玄関を入ってきたお年寄りが、ちゃんと1人で歩いて帰りの車に乗り込む姿を何回も目撃しているので、その効き目は確かなものだと確信しています。

災害時の活動の様子(下風呂温泉おかみの会)

昨年8月の大雨の災害の時は温泉が出なくなったらどうしようかと心配だったのですが、水道も電気もダメだった時、下風呂の温泉だけは絶える事はありませんでした。国道が寸断され、孤立状態になった下風呂温泉。
でも、なぜか皆イライラもせず普通にしていられたのは、下風呂の温泉に入ることができていたからだと思います。取り残されてしまったお客様も温泉を満喫。髪も下風呂温泉で洗い、洗濯物も下風呂温泉で洗う、ある意味贅沢な日々。
何となく、みんな微かに硫黄臭を漂よわせていた毎日でした。温泉の効能は色々な所で色々な状態で発揮されるのです。
そうそう、私たち「下風呂温泉おかみの会」の皆がイベントに参加させていただくと、温泉効果でお肌つやつやですねえと言われるのですが、あながちお世辞でもないのでしょうかね?

小さな温泉場、都会からのアクセスも良くない、けれど一度入るとまた入りたくなる温泉。
やっぱり最後に言います。
「下風呂温泉は不滅です!」

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\ この記事の著者 /

長谷 雅恵(はせ・まさえ)

下風呂温泉おかみの会 会長

風間浦村在住

風間浦村生まれ。
本州最北の温泉街である下風呂温泉郷で明治時代から営業を続ける「まるほん旅館」の女将を務めている傍ら、下風呂温泉の女将たちで組織する「下風呂温泉おかみの会」で会長も務めており、下風呂温泉を盛り上げるため、様々なまちおこしを行っている。
また、島康子さん(下北自慢記事#01の執筆者)と同じ「津軽海峡マグロ女子会」のメンバーでもある。

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1月13日午後。青森市から冬道を車で走ることおよそ3時間。窓の外には、冬の風にあおられて白いしぶきをあげる津軽海峡が見えます。
下風呂温泉郷の入り口にさしかかり、夕景を撮影しようと車を降りてみると、顔にびゅん!と寒風が。一瞬で体が冷えこみます。