2021-8-31

撮影者をとりこにする百変化の自然景観

佐藤 史隆 季刊あおもりのき発行人プロフィール

写真/下北地域県民局

<今回の深掘りキーワード>
「仏ヶ浦の魅力のありか」

なんだろう、この岩は?! どうしてこんな形になったの??
仏ヶ浦の海岸には、迫力の巨岩や不思議な形をした岩が立ち並びます。ここに来ると、おそらく誰しもが、写真や動画を撮りたい衝動にかられます。プロのカメラマンたちにとっても“たまらない”撮影スポットなんです。

■ちょっと基礎知識~地形来歴~

写真/下北地域県民局

仏ヶ浦は下北半島西岸、佐井村の南部に位置し、国の「名勝」「天然記念物」、「日本の地質百選」に指定・選定されています。
新第三紀(2,303万~258万年前)の海底火山によって緑色凝灰岩が層として堆積し、さらにそれが隆起して地上に露出した後、雨水や波浪、凍結といった浸食作用を経て形成されました。現在も浸食作用によって形が変わり続けており、極端に言うと、今ある姿は今しか見ることができないんです。

■仏ヶ浦に魅せられた歴史上の人々

大町桂月の歌碑

ここはその昔、地元の限られた人にしか知られていない場所だったそうです。確かに、陸からは崖を降りねばならず、海からは船に乗らないとこの風景を見ることはできません。
歴史上の文献で最も古いのは、江戸時代の紀行家、菅江真澄(1754-1829)による記述です。寛政5年(1793)に仏ヶ浦を訪れ、「ごくらくの 浜のまさごし ふむ人の 終に仏 うたかひもなし」と歌を詠んでいます。(極楽の 浜の真砂路 踏む人の 終わりに仏 疑いもなし)
また、文政年間(1818- 1831)には、盛岡藩の実務官吏だった漆戸茂樹(1790-1870)が「北の奥旅路記」に「海上より海岸に大岩立ちたる、これを一ツ仏という。極楽浜と云うは、砂場にて、きれいなる磯辺、仏ケウタとて白岩、とがり立ちたる数々あり、まことに奇なる岩ともなり、珍しき所なり」と記しています。
さらに時は流れて大正11年(1922)年、下北半島を訪れた文人、大町桂月(1869-1925)はこんな歌を詠んでいます。

「神のわざ 鬼の手づくり佛宇陀 人の世ならぬ処なりけり」
「呆れ果て 驚き果てて佛宇陀 念仏申す外なかりけり」

大町桂月による紹介をきっかけに広く知られるようになり、後の天然記念物指定へとつながっていきます。
※仏ケウタ/佛宇陀:仏ヶ浦は古くは「佛宇陀・仏宇多」(ほとけうた)と称された。国の名勝・天然記念物の指定も、「仏宇多(仏ヶ浦)」の名称で行われている。

■カメラマンを夢中にさせる場所

筆者は、今回の深堀り取材のため、仏ヶ浦に行ってきました。実に小学生の頃以来のことです。
おつきあいのあるカメラマンたちが、ずいぶん仏ヶ浦を撮りたがるなぁと、長年感じていましたが、その理由を確かめずにいました。しかし、仏ヶ浦に実際に立ってみて、「あ!そうだったんだ!」と合点がいきました。私はこの日、腰を痛めていたことも長距離運転の疲れも忘れて、風景をたっぷりと眺め、狂ったように写真を撮りまくりました。
巨岩と巨岩の間を通りぬけると、次の岩が待っている。おもしろい形だなと思って、回り込むと別の形に変化する。ひとつの岩で何倍も楽しめるのです。

第3回リレーエッセイの福田凌さんおすすめの「二宮金次郎」に見える岩(観光船の桟橋近く)
写真/下北地域県民局

この日は、時折雨模様の曇り空でしたが、低く垂れ込んだ雲が岩の高いところを流れていくさまは神秘的でした。パンフレットなどで見るような岩の白と空の青がくっきりした日も、この目で見ることができたらさぞかし素晴らしいだろうなと思いながら、園山和徳さんの言葉を思い出しました。
「何回も行っているのに、行くたびに新しい表情に出会う場所なんです」
園山さんは、一般社団法人くるくる佐井村で佐井村の魅力を広めています。毎年「冬の仏ヶ浦ガイド」を実施してきました。冬に行くというイメージのない場所。発想の転換から生まれた企画です。「冬には冬の良さがある」、そして「人それぞれに、感じ入るポイントが違う」と言います。 (2021年度の「冬の仏ヶ浦ガイド」の実施については、コロナ禍により未定)
NPO法人佐井村観光協会の鹿島年男事務局長も、「自然による造形美を十分に堪能して欲しい。その時その時の人の気持ちに寄り添ってくれるところが仏ヶ浦の魅力です」とおすすめします。

「冬の仏ヶ浦ガイド」の様子。雪の遊歩道を降りてゆく
写真/(一社)くるくる佐井村
「冬は、青緑の岩と白い雪のコントラストが魅力」と園山さん
写真/(一社)くるくる佐井村

仏ヶ浦を知るには、一度行くくらいでは到底無理。春夏秋冬、朝昼晩、天候、太陽や雲の具合などによって、巨岩、奇岩は違う姿を見せてくれます。だから、カメラマンたちは、仏ヶ浦を繰り返し訪れてしまうのです。
そのひとりが、撮影歴60年以上というサトウユウジさん(青森市在住)。2016年の「青森まさかり半島フォトコンテスト」(しもきたTABIあしすと主催)に仏ヶ浦で撮影した写真を出品し、最高賞の特選を受賞しています。
サトウさんは「仏ヶ浦には、撮れば撮るほどもっと撮りたくなるような、終わりのない奥深さがある」と絶賛します。

自身撮影の写真が使われた佐井村の観光ポスターの前でサトウユウジさん
(約20年前、仏ヶ浦にて)
サトウさんおすすめの1枚(2012年頃撮影)

また、カメラマン・菊池敏さん(青森市在住)は、「ドラマ性を帯びた風景」と称します。「近くに恐山があり、死の世界と接し、私たちに浄土の世界を見せてくれているような印象もある。“気配をとらえる”というような撮影をしたくなる絶好の場所です」と話します。確かに、そういう雰囲気が漂っています。仏ヶ浦の地蔵堂には、海岸に流れ着いた仏像などがおさめられています。謎めいた伝承も残されています。

■最後に~観光船のお供に「うにぎり」を~

「ちょこっと」では、うにぎりを年中販売している

今回の下北のヒミツ・リレーエッセイでは、仏ヶ浦の観光船を紹介しています。
観光船の発着所は、佐井村の津軽海峡文化館アルサスにあります。アルサスの外側にあるテイクアウトのお店「ちょこっと」の「うにぎり」がうまいんです。500円出す価値が十分にあります。ほかほかごはんにたっぷりの塩うに。それを風味豊かな海苔で巻いて。岩海苔で巻くのは、入荷する3月から品切れになる8月上旬くらいまでとのこと。筆者が訪れた時は、残念ながら岩海苔ではありませんでしたが、厚みのある海苔でおいしかったです。(「うにぎり」については、連載第1回をご覧ください!)

仏ヶ浦の景観にも味にも、すっかりとりこになった筆者でした。

(おまけ)

NHKドラマ「精霊の守り人」の撮影も行われました。
全力で走るシーンもあり、出演者の皆さんは大変だったそうです。

\ この記事の著者 /

佐藤 史隆

季刊あおもりのき発行人

1972年青森市生まれ。青森高校、東海大学文学部卒業。帰郷後、地域誌「あおもり草子」編集部へ。2019年冬「ものの芽舎」創業。2020年12月あおもり草子後継誌として「季刊あおもりのき」を創刊。NPO法人三内丸山縄文発信の会(遠藤勝裕理事長)の事務局としても活動。2022年4月には、青森県の馬に関する歴史・民俗・産業などのあらゆる事象を研究するあおもり馬事文化研究会(笹谷玄会長)を立ち上げた。ちなみに佐藤家のお墓はむつ市川内にあり、毎年家族で墓参りをしている。

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福田 凌 (佐井定期観光株式会社) 佐井村在住

私は高校卒業後、佐井定期観光(株) に入社して仏ヶ浦への観光船に乗っており、現地で案内などもしております。毎日のように運航、案内しているなかで仏ヶ浦の海の綺麗さ、奇岩の形状、自然の魅力を日々感じており、それを乗船されたお客様に10分程の案内のなかでどのように伝えるかまだまだ勉強しております。

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