2021-10-29

下北発、未知の魅力の縄文ロマン

佐藤 史隆 季刊あおもりのき発行人プロフィール

東通村の石持納屋遺跡出土の土器
 東通村歴史民俗資料館所蔵

<今回の深掘りキーワード>
「縄文」

この夏、世界遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」。世界遺産を構成する17の資産(遺跡)のうち、青森県は8つを占めますが、残念ながら下北地域の遺跡は含まれていません。 しかし、今回のエッセイで氣仙さんが書いたように、下北にも縄文時代のことを私たちに伝えてくれる、貴重な遺跡が見つかっています。

下北では、慶應義塾大学の江坂輝弥(1919-2015)による遺跡調査も行われました。江坂輝弥は、縄文土器の編年や起源について独自の説をたて、また、石器時代の日本と朝鮮半島や中国とのつながりについて研究した日本考古学の第一人者です。下北においても、日本考古学の最先端といわれる調査を実施していました。

■国重要文化財多数の二枚橋(2)遺跡、最花(さいばな)式土器の名の由来となった最花遺跡

二枚橋(2)遺跡出土の土偶(国重要文化財)
むつ市教育委員会所蔵、写真提供/青森県文化財保護課

下北で重要な縄文遺跡を2つほど紹介します。
ひとつはむつ市大畑の二枚橋(2)遺跡。時代は、縄文時代晩期(約3,000~2,300年前)から弥生にかけて。この時期の遺跡からは、全国各地でさまざまな土偶が見つかっています。青森県の土偶といえばシャコちゃん、というくらい有名な亀ヶ岡石器時代遺跡の遮光器土偶ですが、二枚橋(2)遺跡でも亀ヶ岡文化の土偶や土器、土面が大量に見つかっており、2012年には1308点が国重要文化財に指定されています。
ちなみに筆者は、二枚橋(2)遺跡の土偶が好きです。前を見据え、腕と脚をズンと左右に開いて立つ姿に、些事に動じない精神の強さを感じ、見るたびに励まされています。

もうひとつはむつ市の最花遺跡です。
最花遺跡は、田名部川の支流・青平川の河岸段丘上にある下北半島最大の貝塚です。貝塚からは汽水性のヤマトシジミが主体となって見つかっています。この他にも石器、石製品、魚の骨、鳥の骨が出土。骨角器として銛先、釣り針、かんざしなども見つかっています。陸奥湾に面した貝塚は珍しく、縄文時代当時、湾内でどんな生業があったのか、その時代の自然環境の変化を知るための重要な遺跡です。
また、縄文土器に関する書物を読んでいると、「最花式土器」という言葉を見ることがあります。これは東北地方北部に分布する縄文時代中期後半に見られる土器形式の呼び名です。その名の由来となったのがこの遺跡です。

■閉校の校舎を利用した東通村歴史民俗資料館

展示物が並ぶ東通村歴史民俗資料館

下北には見学できる縄文遺跡はありませんが、東通村歴史民俗資料館に行くと、出土した遺物を見ることができます。東通村には文化財登録されている遺跡が139あり、下北ではむつ市に次いで多い地域です。

資料館は、東通村役場から車で10分ほどのところにあります。閉校した旧・田屋小学校・中学校の建物を利用しており、どこか懐かしい雰囲気が漂います。
資料館では、「自然」「考古」「村指定文化財」「生活用具」「学校歴史」の5つのテーマで展示を行っています。古代から現代に至るまでの東通村の歴史を、土器や、民俗・風習の資料、近世の生活用具、学校に残されていた歴史資料などを用いて、時代の移り変わりが理解できるように展示しています。
考古の資料は、もともと教室だった1フロアに、旧石器時代に始まり、縄文、弥生、平安時代までの土器が並べられています。中でも、縄文時代は、草創期を除いた全時代(早期、前期、中期、後期、晩期)の土器を順に見ることができ、約6,000年間にわたる変化の様子がわかります。
では、時代を追って見てみましょう。

■縄文土器の変遷が丸わかり!

早期の土器

まずは、早期(約9,000年前)のブース。ここにあるのは念仏間(2)遺跡出土の土器です。底がとがっていて、そのまま床面に置くことができません。尖底土器といいます。土器の天地の中間あたりに黒く焦げ痕があることから、地面につきさして煮沸していた可能性があります。写真右側の土器の点々が打たれた三角の模様が印象的です。

前期の土器

続いて前期(約6,000年前)。今回のエッセイでも登場する石持納屋遺跡出土の土器です。青森市の三内丸山遺跡(前期~中期)と同時代の遺跡。複数の住居跡が見つかったことから、この時代の下北地域の中心的な集落跡だったと考えられています。
この時期の土器は底が平らになり、大型、円筒型の土器が作られるようになります。
また、岩手や秋田から運ばれてきた可能性を示す紋様を持つ土器もあります。縄文時代の交易や交流が見えてきます。

中期の土器

前期のとなりは中期(約5,000年前)。石持遺跡出土の土器片が並びます。前期に比べて紋様に力強さが増しています。筆者は「あ!三内丸山遺跡にも似た紋様があったぞ!」と思いながら、時代と紋様の共通性の不思議さを実感しました。

後期の土器

そして後期(約4,000年前)へ。ここには、石持納屋遺跡の壺形の土器や、向野(2)遺跡の土器が展示されています。東北地方南部の縄文文化が北上した影響を受け、紋様が複雑化してきています。

晩期の土器

縄文ブースのラストは晩期(約3,000年前)です。瀧之不動明遺跡出土の土器で、壺形、深鉢、台付鉢、浅鉢など形状はバラエティーに富み、紋様も洗練されていることは一目瞭然。美術品のような土器もあり、当時の技術力やアート性に驚かされます。

各時代の土器を見て感じたのは、東通村の縄文遺跡固有の特徴ではなく、他地域との共通性があることでした。共通性はどの時代においてもみられ、縄文人が連綿と交流を続けてきたことを示しています。ひと口に交流と言っても、現代のように交通機関も道路も発達していなかった時代であり、さまざまな艱難(かんなん)があったと想像します。

■最後に

あべらベリー苑

東通村歴史民俗資料館に行ったら、ぜひ立ち寄りたいスポットを2つ紹介します。
資料館のすぐ裏手にあるのが、「ブルーベリー観光摘み取り福祉農園・あべらベリー苑」。土に昆布の液肥やもみ殻を混ぜるなど研究と工夫をしながら無農薬有機農法に取り組んでいます。夏にはブルーベリー摘み取り体験ができます。
また、東通村役場近く、東通村保健福祉センター内に「長寿庵」があります。地元産そば粉100%のおそばを味わえます。現在はコロナ禍の影響で食事メニューの提供は休止しており、再開日は未定ですが、再開を楽しみに待ちます。ソバの実は縄文時代に日本列島に伝播したといいます。もし、下北の縄文人がソバの実を調理して食べていたとしたら、どんなだったのかなと未知の縄文に思いを馳せる著者でした。

\ この記事の著者 /

佐藤 史隆

季刊あおもりのき発行人

1972年青森市生まれ。青森高校、東海大学文学部卒業。帰郷後、地域誌「あおもり草子」編集部へ。2019年冬「ものの芽舎」創業。2020年12月あおもり草子後継誌として「季刊あおもりのき」を創刊。NPO法人三内丸山縄文発信の会(遠藤勝裕理事長)の事務局としても活動。2022年4月には、青森県の馬に関する歴史・民俗・産業などのあらゆる事象を研究するあおもり馬事文化研究会(笹谷玄会長)を立ち上げた。ちなみに佐藤家のお墓はむつ市川内にあり、毎年家族で墓参りをしている。

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氣仙 修(東通村観光協会 会長)東通村在住

2021年7月、北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に登録されました。 私の住んでいる、東通村にも縄文時代の遺跡が点在していますが、下北ジオパークのジオサイトの一つである、津軽海峡に面した「北部海岸」にでも縄文の遺跡が発掘されています。

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