2023-1-30

詩情、人情が織りなす下風呂旅情

佐藤 史隆 季刊あおもりのき発行人プロフィール

下風呂の温泉街を巡る人情旅で立ち寄ったスナック「ドランカー」

<今回の深掘りキーワード>
「下風呂旅情」

下風呂温泉郷を訪ね、まるほん旅館の温泉に浸かり、あんこう料理を堪能し、幸せな気持ちに包まれた本シリーズ♯8「温泉にも食にも満足!下風呂温泉滞在記」の取材から1年。
「また、行きたいな」と思っているところに、再び下風呂取材の機会に恵まれました。
前回は、温泉と名物の鮟鱇(あんこう)を中心に紹介しましたが、今回は、下風呂の温泉街を巡り歩きながら、下風呂にまつわる文学や、文人たちからも愛されてきた、旅情をくすぐる風土を体感してきました。

■井上靖など文豪に愛された温泉郷

2種の源泉が楽しめるほか、地元ゆかりの文人を伝える「海峡の湯」

津軽海峡沿いの国道279号を車で走らせ、雪景色の中に、やがて見えてきた「下風呂温泉郷」の案内塔。1年ぶりの下風呂温泉郷もしばれる空気の中にありました。
最初に尋ねたのは「海峡の湯」。ここは大湯、新湯の2つの源泉が楽しめる日帰り入浴施設で、非常に熱い湯の浴槽がある温泉として知られています。浴室には作家・井上靖(1907~1991)が浸かったのと同じ源泉(大湯2号線)の「井上靖 ゆかりの湯」が、また2階には下風呂ゆかりの文人を紹介する展示室があります。

「海峡の湯」2階にある井上靖の宿泊部屋の復元

2階展示室で、「飢餓海峡」の作者・水上勉(1919~2004)、同志社を創立した教育者・新島襄(1843~1890)の展示と並んで、ひときわ目を引くのが井上靖にまつわる展示です。海峡の湯は、井上が下風呂を取材した際に宿泊し、小説「海峡」のラストを書き上げた「長谷旅館」の跡地にあることから、長谷旅館で宿泊した部屋を再現したコーナーが設けられています。
小説「海峡」は、雑誌編集者の杉原と、同僚の宏子、上司の松村編集長、松村の友人で医者の庄司、庄司の妻の交錯する恋愛模様を描いた物語です。物語終盤、杉原、松村、庄司の男性3人は、津軽海峡を渡る「アカエリヒレアシシギ」を求めて下風呂温泉郷に宿泊しています。
この時の杉原と庄司の、心境やセリフを記した箇所を紹介します。

「ああ、湯が滲みて来る。本州の、北の果ての海っぱたで、雪降り積もる温泉旅館の浴槽に沈んで、俺はいま硫黄の匂いを嗅いでいる。なぜ、こんなところへ来たのだ。美しい姫の幻想を洗い流すために、俺はやって来たのだ。」(杉原)
「人間というものはおかしなものですな。一昨日東京に居たと思った人間が今日は何百キロ離れたところに居る。われわれはいま、最北端の下風呂温泉につかっている。が、あさってはまた東京に舞い戻っている。」(庄司)


注目したいのは、二人とも下風呂を「北の果て」「最北端」と表現し、そこにいることを感慨深く思っていることです。特に杉原と松村は(ややネタばれになりますが)、恋を成就できずにいる苦しみを抱えており、そのことへの癒しを下風呂に求めているかのように見えます。
小説でも演歌の世界でも、失恋した人は北の果てに足が向かう傾向があるようです。それならば、尻屋崎や竜飛岬という設定もありえたかもしれません。ただ、「海峡」の舞台が下風呂となったのは、井上靖自身がこの地を印象深く思っていたからでしょう。1959年、井上は自身の作品の中から、風景を描写した箇所だけを抜粋して『旅路』という一冊の本(人文書院)にまとめていますが、「一應(いちおう)どれも私の好きな風景であると言へるかと思ひます」という風景の中には、下風呂温泉の描写も含まれています。

下風呂漁港の海峡いさりび公園にある井上靖の文学碑

また、1989年、下風呂漁港の海峡いさりび公園に「海峡」の一節を刻んだ文学碑が建てられた際には、井上は新聞各社の取材に、下風呂取材の際に出会った渡り鳥や温泉の思い出を口にするとともに、82歳の高齢ながら除幕式に参加し、「本当に重厚で城のような文学碑を見て、涙するほど感激している」(「東奥日報」1989年10月1日)と感謝の言葉を述べています。

ちなみに、下風呂については、田山花袋(1872~1930)、三好達治(1900~1964)、三浦哲郎(1931~2010)といった文学史に名を刻む作家たちも小説や随想に記しています。
この地は、特に作家の感性を刺激する場所なのかもしれません。

■女将パワーで下風呂を元気に。下風呂小唄も復活

下風呂の温泉街。宿やお店の軒数は多くはありませんが一軒一軒がパワフルです!

温泉街をぐるっと回り、海峡の湯のすぐとなりにある下風呂観光ホテル三浦屋に戻ってきました。今回のお宿です。「海峡」の世界に浸り、センチメンタルな思いを抱えた筆者を明るい笑顔で迎えてくれたのが、若女将の三浦祐未さんでした。かつて県外で社会人として暮らしていた祐未さんですが、東日本大震災直後の2012年、実家である三浦屋の従業員が体調不良で休むことになり、急きょ手伝うことに。当初は短期間の予定でしたが、深刻な人手不足の実情を目の当たりにし、「自分も役にたちたい」と、若女将になる決意をしたそうです。
祐未さんの母親で女将の三浦千代子さんは、神奈川に生まれ幼少期を過ごしたのち、東京で暮らしていました。社会人となり、東京の料理店で板前修業をしていた現社長の三浦庸一さんと、客としてカウンター越しに出会い、結婚。三浦さんが帰郷したのを機に下風呂に移住し、今年で33年になるといいます。「おいしいウニ、アワビにつられてきました」と女将さんは笑顔を見せます。

鮟鱇ねぶたの下で。三浦屋女将の三浦千代子さん(右)と若女将の祐未さん

下風呂では、近年、旅館の女将さんたちの活動が活発です。2022年には、三浦屋も参加する下風呂温泉おかみの会(長谷雅恵会長)の尽力により、「下風呂小唄」が復活しました。
  ♪いで湯恋しい朝焼小焼 新湯大湯と気がはずむ
            希望明るい花が咲く 下風呂湯の町良い所♪
この歌は、下北の高校教師2人が1937年に作った曲で、昔は地元の行事などでも歌われていたそうです。音源化されないままいつしか忘れられ、楽譜も失っていましたが、長引くコロナ禍、2021年夏の豪雨災害の影響に苦しむ温泉郷を元気にしようと、記憶をたどって復活させ、復興ソング、PRソングとして、ばっちり音源化されました。現在、下北ゆかい村公式チャンネルで視聴できます。https://www.yukaimura.com/202210-4149.html

三浦屋に話を戻します。昨年も紹介しましたが、12月上旬から3月頃にかけて、風間浦村では村内の宿泊施設や飲食店で鮟鱇料理を提供する「風間浦鮟鱇まつり」が開催されており、今年も夕食で堪能しました。参加店それぞれに魅力がありますが、鮟鱇のにぎりを食べられるのは三浦屋さんだけ。他にも三浦屋さんが作る鮟鱇料理の数々は絶品でした。

料理の解説をする三浦屋社長の三浦庸一さん

なお夕食時、ちょうど別の取材で訪れていた青森市出身の紀行作家・山内史子さんご一行とご一緒させてもらいました。山内さんは、『赤毛のアンの島へ』(白泉社)『英国ファンタジーをめぐるロンドン散歩』(小学館)などの著者として知られている一方、日本酒にも造詣が深い方でもあります。余談ですが、著者は函館で飲み歩きの旅の取材をしている時にも遭遇したことがあり、お酒に絡んでなんとも不思議な縁があります(笑)。 夕食の後、ほろ酔いのまま、山内さんおすすめのスナック「ドランカー」にも同行しました。

■名物スナックでの何気ない時間に溢れる人情

ドランカーは、三浦屋からすぐ、歩いて1、2分。昭和の香り漂う店を、この道○十年というママ、工藤真栄子さんが一人できりもりしています。

スナックドランカーにて。ママの工藤真栄子さん(右)と紀行作家の山内史子さん

入って早々、ママから堅くてコチコチのカンカイを3本手渡され、戸惑う筆者。ママは、「あんた、これ炙ってけろ(あぶってちょうだい)」とニコニコ顔です。初対面とは思えない気さくさに気持ちがほぐれ、常連客のような気持ちで時間がたつのを忘れて楽しむことができました。
今回は水揚げがなく残念ながら味わえませんでしたが、ドランカーでは1~2月にかけて水草カレイの一夜干しを味わうことができます。お店のストーブで焼くと旨いと評判で、先ほどの三浦社長も「ママの焼き技は実に妙技」とうなるほどです。
水草カレイをめぐっても、店内では会話が弾んでいました。「(カンカイが)焼けたにおいがしてきた」と誰かがいうと、「水草カレイはもっとだよ、お店の中、においで充満しちゃうんだよ」とママは大笑い。「なんで、ママの焼く水草カレイが評判なんですか」と質問がとぶと、「たぶん、コンロでなく、ストーブの上だからうまく焼けるんだろうなぁ」とママ。
和気あいあいとした雰囲気に、「『海峡』の失意の登場人物たちも、ここに来れば元気になっただろうな」と、そんな勝手なことを思ったりしました。

■また下風呂旅情に浸りたい

漁船が港を出ていく朝の下風呂漁港

翌朝、6時30分ころ、三浦屋さんの宿泊部屋のカーテンを開くと、まだ日の出前の薄暗さの中に下風呂漁港がありました。ちょうど漁船が一艘一艘出漁するところで、それぞれに一線の白い波しぶきを残しながら、津軽海峡の沖へと進んで行きます。ほどなくして、朝の光が入りはじめました。海も空も鉛色の風景ですが、不思議と寒々しい風景には見えませんでした。下風呂での交流がそう思わせてくれたのかもしれません。

三浦屋でチェックアウトをして帰り際、女将さんがこんなことをおっしゃっていました。
「県外からも何度も来てくださるお客様もいて、親しくなって、お互いに地元のおいしいものを贈り合ったりしているんですよ。交流の輪がどんどん広がっていくことが、とてもうれしいんです」
山内史子さんは、「さほど広くはないエリアに、高い密度で魅力が詰まっているのが下風呂温泉。泉質やアンコウの肝はもちろん、人情も濃い。束の間のやり取りであっても、深く記憶に刻まれる。お会いした皆さんの笑顔が幾度となく思い出されて、また出かけたくなる。恋しくなるんです」と話します。

本州最北の風景、温泉と料理という土地の恵み、そして人情。
今回の自慢エッセイで地元風間浦村の坂本愛さんが漁師さんへの感謝の思いを込めて「誰かの日常は誰かの非日常」と記しています。私も、下風呂の皆さんから非日常を楽しむ時間をいただきました。
今回残念なのは、昨年のこの記事で今度こそ行きたいと書いた工藤商店に行けなかったこと。干しダコや鮟鱇のとも和え、鮭の飯寿司が評判のお店です。取材時、おかみさんが怪我で休業中でした。この記事が公開されるころには再開しています。また、海鮮丼などで観光客にも大人気のあさの食堂にも行きたいです。
私の下風呂通いはこれからも続きそうです。きっと来年の今ごろも、鮟鱇料理に舌鼓をうっていることでしょう。

\ この記事の著者 /

佐藤 史隆

季刊あおもりのき発行人

1972年青森市生まれ。青森高校、東海大学文学部卒業。帰郷後、地域誌「あおもり草子」編集部へ。2019年冬「ものの芽舎」創業。2020年12月あおもり草子後継誌として「季刊あおもりのき」を創刊。NPO法人三内丸山縄文発信の会(遠藤勝裕理事長)の事務局としても活動。2022年4月には、青森県の馬に関する歴史・民俗・産業などのあらゆる事象を研究するあおもり馬事文化研究会(笹谷玄会長)を立ち上げた。ちなみに佐藤家のお墓はむつ市川内にあり、毎年家族で墓参りをしている。

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下風呂のおいしく素敵な支えあい

坂本 愛 (有限会社 畠山商店 代表取締役) 風間浦村在住

みなさま、はじめまして。 わたしは風間浦村の下風呂で生まれ育ち、家業の箱屋を継いで木箱を製造しています。 青森県で木箱というとリンゴを入れる箱を思い浮かべる方もいるかもしれませんが、下風呂で木箱といえば魚を入れる木箱です。

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